テレビ消し静かな部屋に初夏の風そろりと入りカーテン揺らす

掲載号 08年04月26日号

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増成君子

 「テレビ消し静か」と「カーテン揺らす」がよく効き、その場の情景が見え、また言語表現は新鮮だ。

 「初夏の風そろりと入り」という擬人化も、自然の無意(偶然の事象)と、人間の有意(統計的に必然と思われる事象)の絡みを表現して巧み。この作品から川上澄生の詩を思い出した。

かぜとなりたや / はつなつの
かぜとなりたや / かのひとの
まへにはだかり / かのひとの
うしろよりふく / はつなつの
はつなつの / かぜとなりたや

 「初夏の風そろりと入り」と詠む作者の感覚や川上澄生の詩が語りかけるのは、自然と人の絡み、その中で広がる「ゆたかな空想」だ。

 短歌を詠む原動力は『言葉の向うに在る筈の、未知なるものを知りたい』という本能的な衝動と思う。

 「言霊の国」で、漢字・かな・カナ・外語を自在に組み合せつつ変化を続ける短歌は、今も新しい血を加えながら詠み継がれている。

 たとえば「そろりと入りカーテン揺らす」の、微かな色気と外語がそうだ。

 加えて、先祖は言葉とともに「空想」という感覚も遺してくれている。「初夏の風そろりと入り」という空想の涼しさは”島の風”として大切にしたい。

 一説によれば、極静の空間では自分の出す音が聞こえるそうだ。そんな場所で一首に接したいが、それは短歌に親しむには「穏やかさ」「静かな孤独」が好ましいからだ。

 「おだやかな風そろりと入りカーテン揺らす」と情緒ゆたかな因島の風土は、歌作りと鑑賞の両面に適し、新しい短歌の揺り籠にふさわしいと思う。


文・平本雅信(がしん)

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