ひそやかに生き終えしもの見届けぬ午前三時の流れ星ひとつ

掲載号 07年11月17日号

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藤原野栖枝

 初句の「ひそやかに」が「生き終えし」と「見届けぬ」の両方に効き、歌の解釈は簡単になる…ナントイイマショウカ…短歌の妙でありましょう。

 午前三時の静けさの中、流れ星が音も無く消えた。それを見た作者は「寿命とは…」と自分に問い、人間の寿命と流れ星寿命を比べる。そのとき、作者と流れ星の間には言葉にならない会話が交わされた。


 それでは軸足を「生き終えしもの」に置き、詩的想像の世界を覗きましょう。

 生き終えるとは「寿命を全うする」こと、では寿命とはなんぞや。

 いろいろな寿命説の中で魅力的な「心拍数説」によれば『人間を含めた哺乳動物は、その心拍数の下限が二十億回で、それに達すると寿命』だと言う。

 鼠でも象でも心拍数20億回に変わりは無い。人間の目では「鼠短命、象長命」に見えるが、それは鼠の心拍が象より速いからで、心拍数を基準にすれば、説の妥当性は一目瞭然だとか。

 ここで「流れ星の寿命」という難問に直面…

流れ星のモトは何か

彗星が撒き散らす塵である。

彗星とは何ぞや

一口にいえば太陽系小天体である

では彗星の寿命は太陽系の寿命と同じか?

ムニャムニャ…


流れ星はあのまま消滅したのか…

人の死とどう違うのか…

『人は死を知った時から、美しいものを愛で、人を憐れむ心を育てて来た』との仮説をどう思うか?

ムニャムニャ…

(文・平本雅信)

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