因島の栄枯盛衰を物語る日立会館ビルの取り壊しが始まる

掲載号 07年11月03日号

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 日立造船城下町因島の栄枯盛衰を物語る日立会館ビルの取り壊しが始まった。昭和32年(1957)7月完成したこの会館敷地は遊漁、農耕船の「船だまり」だった。いまから50年前の話だから記憶に残っている人たちも多い。

日立会館ビルの取り壊し風景

 夏には飛び込み台が据えられてプール代わりに水泳大会も開かれていた。その船だまりに松材を打ち込んでビルの基礎づくり。地下1階、地上5階の娯楽とショッピングのビルが出現した。1・2階は日立生協店舗、3・4階は映画館、5階は多島美や旅客船が行き交うロケーションが展望できるレストラン・宴会場。

 県東部初のエレベーター試乗に福山方面から来島する家族連れもいた。映画館も石原裕次郎がデビュー間もないころで大繁盛。日立造船マンならお嫁にやろうという時代。結婚式場も華やいだ。タンカー一隻進水すれば独身寮が建ったといわれたころの話。

 栄華を謳歌したのも86年まで。そして奈落の底から今、30年ぶりの新造船復活のきざしに因島の姿はどう変わるのだろうか。

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