中国の大地を転戦せし老いの「麦と兵隊」歌うに唱和す

掲載号 07年06月16日号

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柏原幸枝

 「麦と兵隊」を歌っている席はどのような席かは不明であるが、そこに立ち上がって、思わず口を衝いて出て来るのは青春の日の歌である。とは言うものの、気が付けば暗い希望のない戦争のいつ果てるともない、中国大陸の戦場にいたのである。思い切り感情を込めながら歌っていると、同席の人もみんな唱和してくれた。当時(昭和16年)の軍歌集に収録されてはいるが、歌詞の内容は軍の検閲のぎりぎりの字句であった。「徐州徐州と人馬は進む」一節から四節まであるが、戦時高揚のような字句はなく、明日をも知れぬという地に置かれているという望郷の想いと戦友という人間愛のこめられた歌、単調とは言えないことはないが、哀愁の湧く歌詞である。

 作家の「火野葦平」が従軍したときの体験を描いた「麦と兵隊」がある。その小説を読んでの兵隊一人一人の生死を堵したなまなましい辛酸に感動して作詞したと言われている。

作詞 「藤田まさと」
歌手 「東海林太郎」

 マイクの前で直立不動の姿勢で一節一節に心を込めて歌われ、長い期間を歌い継がれた国民的大歌手であった。「麦と兵隊」も軍歌とは言われながらも高齢者の潜在的な愛唱歌であって、歌の文句にも筋書きがあるので憶えやすくいつでもどこでも歌える歌である。

 「麦と兵隊」の歌に出て来る地名の「徐州」はどのあたりかと地図を調べてみるが中国の呼び名で記載してあってなかなか解りにくく南京の西北の方向に 州(チューチョ)とあった。中国の大地を転戦した老いも夜に日に継いで行軍したあの麦畑を想い起こしながら歌っているのであろうか。

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