旅先で笑顔作りてポーズとるも飾れる写真一枚もなし

掲載号 07年05月05日号

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半田ミチエ

 最近のハイテクカメラは撮って直ぐに見ることが出来るが、その反面に楽しみが半減するのではないだろうか、やはり以前のように旅先で撮って帰ったフィルムを写真屋さんに現像焼付けをしてもらい、家で一枚一枚を繰りながら、旅先での出来事や出会いを想い出すことも楽しみな一と刻である。

 にっこりと笑顔をしたり、ポーズもとっては見たが、どれも気に入らない。一枚くらいは額にはめて飾り棚の上に置くのがあっても、と一枚一枚確かめている。

 この歌には何処々々に何泊で誰と行ったということは出ていないが、そんなことは無い方が良い。いかにも素朴そのもので、「飾れる写真一枚もなし」と言い切っているところが読む者に楽しさをくれる。

「赤い橋のそばで」「満開の桜の下で」「広い砂丘の上で」

 どの写真にも想い出が一杯に詰っている。ご主人と同伴だろうか、生れつきのいい笑顔をもっている人だろう。「チーズ」も「一い二い」も良いだろうが、期待どおりに撮れてなくても私なりに写っていると思えばよい。人間は欲なもので百点満点を望むのだが、七十点八十点を目指せば充分である。

 プロの写真家でなく、普通の使い捨てカメラでも、旅のときには何本となく写すが、写真の良否はどれも一と通りではなく、光線の加減もあれば、被写体(人)の動きや自然体もあるものだ。カメラ愛好家がよく言うシャッターチャンス、これがすべてであって、自分が知らぬ間に撮られているときの写真にお気に入りの一枚があるかも知れない。

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