「樽募金」に支えし小さな大投手逝きたりし夜亡き夫に語る

掲載号 07年03月03日号

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柏原 麗子

 樽募金と耳にするだけでもなつかしいことばである球団結成当時は、スポンサーもなく、広島県の市民によって支えられている広島カープ球団であるだけに、普通の入場料金のみではどうにもならず、球場の入口には木の樽を置いて協力を求めていた。

 この歌の「小さな大投手」とは、かつてのカープを一人で支えていたと言われる長谷川良平投手のことである。夕方のニュースで聞いたのか、亡くなられたご主人の仏壇の前で「あなた、カープのピッチャーをしていた長谷川さんが亡くなられたのよ。」、と手を合わせながら語りかけているのである。

 ご主人は、生前に相当にカープファンであったらしく、奥様ともども何度となく、広島球場を訪れたことだろう。

 広島カープの当時の大黒柱と言われていた、長谷川良平とは、背丈は166センチくらいだったか、その小柄な体から繰り出す一球一球は、変幻自在で魔球とまで言われていた。球種も多く、上下左右にコーナー一杯に、遅速をつけての投げ分けをして、最後の決め球は、打者の膝元に鋭く食い込んで来るシュートボールであった。当時の野球評論家たちは、この変化球をカミソリ・シュートと絶賛していた。

 もうすぐにプロ野球も開幕になるが、冒頭にあるように樽募金をする程の貧乏カープであって、現在のような高額な優秀選手の獲得は夢の夢であった。この小さな大投手「長谷川良平」も一ぺんに大投手になったのではなく、地方の高校生か草野球チームの出身ではないだろうか。天性と努力とたゆまない研鑽の結実と思われる。

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