2010年8月21日 / 最終更新日 : 2010年8月21日 times 因島にて… 因島にて… つかみかけた確信【36】 戦後65年―因島の夏(2) 戦後65周年の因島空襲記念日の7月28日、私は自ら住んでいるこの地域で、つもりつもった想いをこめて「平和」を叫ぼうと思った。私は「平和」という言葉がいつの間にか嫌いになっていた。「慰霊」とか […]
2010年8月14日 / 最終更新日 : 2010年8月14日 times 原田真二 因島にて… つかみかけた確信【35】 戦後65年―因島の夏(1) 戦後65周年目の「因島の夏」は、特別の夏になったであろうか。先日、「せとうちタイムズ」紙を配達しているとある方に呼び止められ、「私の妻は被爆者で3年前に死んだ。あんたが、お金のことを度外視し […]
2010年8月7日 / 最終更新日 : 2010年8月7日 times 原田真二 因島にて… つかみかけた確信【34】 原田真二さんのこと(終) テレビ朝日系広島ホームテレビは8月3日、特集「65回目の夏…語られなかった因島空襲」を約13分間にもわたって放映した。私はその日、広島市にいて同局のロビーで、被爆ピアノコンサートで活躍する、ピ […]
2010年7月24日 / 最終更新日 : 2010年7月24日 times 原田真二 因島にて… つかみかけた確信【33】 原田真二さんのこと(6) 「原田真二さんの進水式」の日の7月14日は、中国地方を梅雨前線の影響で豪雨が襲った。翌日の新聞は、「豪雨3人死亡2人不明」と報道した。原田さんもその渦中にまきこまれ、その日の予定がズタズタにな […]
2010年7月17日 / 最終更新日 : 2010年7月17日 times 因島にて… 因島にて… つかみかけた確信【32】 原田真二さんのこと(4) 日立造船因島工場内にある内海造船を見学した夜、ある方の屋敷に招かれ、食事をしながら懇談をした。その後、原田真二さんに立ち会ってもらって、コンサート当日のバックコーラスメンバーが練習をした。
2010年7月10日 / 最終更新日 : 2010年7月10日 times 原田真二 因島にて… つかみかけた確信【31】 原田真二さんのこと(3) 2月22日の旧広島市民球場での申し入れ以降ただちに、原田真二さんのシングル、アルバム、DVDを取り寄せ、聴きはじめた。コンサートを主催するのだから一番のファンにならなきゃ、と真剣に考えた結果で […]
2010年7月3日 / 最終更新日 : 2010年7月3日 times 因島にて… 因島にて… つかみかけた確信【30】 原田真二さんのこと(2) 私のもとに5月下旬、自主出版本「因島空襲」を注文する、一通のメールが届いた。神奈川県の女性からであった。それには、注文メールにしてはめずらしく、文章が添えられていた。
2010年6月26日 / 最終更新日 : 2010年6月26日 times 原田真二 因島にて… つかみかけた確信【29】 原田真二さんのこと(1) 戦後65周年の因島空襲記念日の7月28日、「いんのしまピースデイ・よみがえれ因島」と銘うった野外コンサートが、因島運動公園で開催される。そのメインゲストは、原田真二さんである。この企画が明らかに […]
2010年6月19日 / 最終更新日 : 2010年6月19日 times 因島にて… 因島にて… つかみかけた確信【28】 東京大空襲との出会い 2010年6月3日は私にとって記念すべき日となるだろう。この日私は、東京大空襲の犠牲者・遺族とお会いすることになった。私の20数年の東京生活は、因島空襲と同様、東京大空襲にも無関心の日々であった。
2010年6月12日 / 最終更新日 : 2010年6月12日 times 因島にて… 因島にて… つかみかけた確信【27】 横須賀の丘で 私は6月4日、神奈川県横須賀市観音崎の丘にいた。そこは大きな公園になっており、東京湾に面したところに私のめざす「戦没船員の碑」があった。眼下には浦賀水道、房総半島、遠くには太平洋の水平線が望まれた。碑には […]
2010年5月29日 / 最終更新日 : 2010年5月29日 times 因島にて… 因島にて… つかみかけた確信【26】 文章化を急げ(4) 私が経営している学習塾に来ていただいて宮地種光さんとお話することになった。宮地さんは「まさか自分たちが体験した空襲を調べている人がいるとは思わなかった」と語った。大田しどりさんも空襲を体験した同級生 […]
2010年5月22日 / 最終更新日 : 2010年5月22日 times 因島にて… 因島にて… つかみかけた確信【25】 文章化を急げ(3) 大田しどりさんは、毎日新聞の「ひと」欄(2008年7月26日)を見て私にお電話を下さった。ふたりの私の姉の名を言い、私の姉かと尋ねた。そして、私の生家と隣接した大田さんの家も同じ空襲で全壊したと告げ […]
2010年5月15日 / 最終更新日 : 2010年5月15日 times 因島にて… 因島にて… つかみかけた確信【24】 文章化を急げ(2) 奈良市在住の大田(旧姓山崎)しどりさんから、お手紙とともに、「忘れられない思い出 三D 51 山崎しどり」という、作文が届いた。2008年8月15日のことである。因島三庄町神田の居住地にたいする空襲 […]
2010年5月8日 / 最終更新日 : 2010年5月8日 times 因島にて… 因島にて… つかみかけた確信【23】 文章化を急げ(1) 毎年のことだが、7月28日の因島空襲記念日が近づいてくる頃になると特別の気持ちになってくる。そのことで頭のなかが一杯になるのだ。戦後65周年の今年はなおさらのことである。
2010年5月1日 / 最終更新日 : 2010年5月1日 times 因島にて… 因島にて… つかみかけた確信【22】 戦後65周年の日々 今年は太平洋戦争が終了して65周年になる。やはり、その年の日々は私にとっても特別である。私は、生まれ故郷で人生最後の仕事をしようと、家族とともに住み直すことにした。その好期の到来を直感し、それを逃が […]
2010年4月24日 / 最終更新日 : 2010年4月24日 times 因島にて… 因島にて… つかみかけた確信【21】 浮かび上がる事実 諦めなければ予想もしなかった事実と出会うものだ。収穫やせん定などの農作業の山が越したので、気をひきしめて夏の空襲記念日に向かって、調査活動を強めたところである。
2010年4月17日 / 最終更新日 : 2010年4月17日 times 因島にて… 因島にて… つかみかけた確信【20】 二通の案内状 私は、「論語」の「義を見てせざるは勇無きなり」の言葉が好きだ。「広辞苑」によれば、「義が貴い人道であることを知りながら、これを実行しないのは勇気がないものである」とある。対義語として「触らぬ神に祟りなし」 […]
2010年4月3日 / 最終更新日 : 2010年4月3日 times 因島にて… 因島にて… つかみかけた確信【18】 地元紙と私(2) インターネット時代を反映してか、せとうちタイムズのホームページを見た読者からのメールが届くようになった。最近も東京都練馬区の方から、「突然ですが、御紙を知りました。島の歴史物語・瀬戸の伝道師ビッケル船 […]
2010年3月13日 / 最終更新日 : 2010年3月13日 times 因島にて… 因島にて… つかみかけた確信【15】 島とともに(2) 地域(ローカル)の大切さに気付いたのは、因島にUターンしてからではなく東京での政治活動の最中であった。そのことは私の進歩であり、成長であった。 私が関わった政治は、世界的・全国的な視点と能力をまずも […]
2010年2月27日 / 最終更新日 : 2010年2月27日 times 因島にて… 因島にて… つかみかけた確信【13】 初心にもどりて 昨年暮れのことであるが、ひとりではっさくの収穫中に事故を起こした。いまだ原因は不明なのだが、足場にしていた二メートルの高さの脚立(きゃたつ)もろとも倒れ、地面にたたきつけられた。畑が斜面になっており、全 […]
2009年12月19日 / 最終更新日 : 2009年12月19日 times 因島にて… 因島にて… つかみかけた確信【6】 学力の問題 塾生が学力をいかに身につけるか、これが学習塾の避けて通れない使命である。学習の立ち遅れを回復したい者、さらに学力を伸ばしたいと望むなど、様々な動機で入塾してくる。私はすべてを受けとめようと思った。塾での授業を […]
2009年11月21日 / 最終更新日 : 2009年11月21日 times 因島にて… 因島にて… つかみかけた確信【3】 目黒から故郷へ 発端はささいなことだった。一旦は終の棲家と決めた東京での、25年にもおよぶ生活を捨てて故郷に帰ろうと決心したのは、アパートの大家の一言が原因だった。「洗濯機を使うのは決められた場所にしてください」と言われ […]