「始まりと終りに」故仲宗根一家に捧ぐ【6】第一章 もうひとつの甲子園

1969年4月28日沖縄デー。政治的焦点は、政府の中枢中の中枢である首相官邸に当てられた。

その日、首相官邸や国会議事堂に向かうデモは禁止されたが、学生たちは官邸占拠の方針を変えなかった。問題は、どのようにしてそこに到達するかだった。

学生たちは港区新橋駅前広場に集まり、官邸に進もうとした。私のもうひとつの起訴状は記している。

――被告人は、

第一 約二〇〇〇名の学生らが、投石、殴打等により警察官らの阻止を排して内閣総理大臣官邸占拠などをしようと企て、昭和四四年四月二八日午後五時ころから同日午後六時一五分ころまでの間、東京都千代田区丸の内一丁目一番地国鉄東京駅第三ホームにその大多数がヘルメットをかぶり、タオルで覆面し、鉄パイプ、角材、丸棒、石塊等を携えて終結し、引きつづき同所から線路上を有楽町駅を経て同都港区新橋二丁目一七番国鉄新橋駅に至り、同駅ホーム付近に滞留して集合した際、角材を所持して右集団に加わり、もって他人の身体・財産に対し共同して害を加える目的で凶器を準備して集合し、

第二 前記のとおり東京駅第三ホームに終結した多数の学生らと共謀のうえ、同日午後五時三六分ころ、同ホームから線路上に大挙して立ち入り、「官邸に突入するぞ」「新橋へ行くぞ」「安保粉砕」などと叫んで気勢をあげながら山手線、京浜東北線、東海道線の線路上を有楽町駅を経て前記新橋駅に至り、同駅ホーム付近に集合していた学生ら約三〇〇名とともに同日午後六時一五分ころまで同駅ホームおよび付近線路上に滞留して、東京駅、新橋駅間の右各線の電車・列車の運行が不可能となる状態に陥し入れ、そのため国鉄東京南鉄道管理局運転部司令係長橋本勝ら運転関係職員をして、このまま電車等を運行させれば事故の発生を免れないものとの念を抱かせ、よって右午後五時三六分ころから一時間余にわたり前記各駅を発着すべき電車・列車の運行を停止させ、もって威力を用いて日本国有鉄道の輸送業務を妨害したものである。

学生たちの望む集会やデモは禁止された。しかし、そのような事態は学生たちに、好きなようなやり方で集会やデモをする自由を与えた。事実、その日、学生たちは自由奔放にふるまった。

学生たちは電車を使って東京駅に集まった。次の駅が有楽町、次の次がめざす新橋駅である。そこで下車して駅前広場に待つ多くの学生たちと合流して首相官邸に向かうのである。

多くの学生たちが東京駅に集合したことを知った当局は、電車を停止した。それは想定済みで学生たちは、ためらうことなく線路上に下り、一路新橋駅へと歩を進めた。今でも、新橋駅付近で新幹線が行儀よく並んで止まっていた光景を鮮明に思い出す。

当然のことだが、警察機動隊も黙ってはいない。東京駅側と浜松町駅側の両方から線路上を突進してきた。学生たちを挟み撃ちにし、一網打尽の逮捕を狙った。

線路上の学生たちはやむなく改札口から駅前広場に出ることを諦め、5メートルくらいの高さであろうか、ガードの上からパイプのようなものづたいに地上へと飛び降りたのである。

ところが、この日の行動の最高責任者である私は、無念にも重傷を負ってしまった。着地した際の衝撃による脊椎の圧迫骨折である。立ち上がろうにもいかんともしがたいのである。アスファルトの上でのたうち回っているしかなかった。

やがて学生たちに救出され、安全な場所へと運ばれた。この瞬間、私の学生運動は終った。

(青木忠)

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