ふるさとの史跡をたずねて【415】伝六⑮修養団俸誠会
伝六⑮修養団俸誠会
伝六百回忌が村を挙げて行われたことから想像すれば宗教的に熱心な町民性が想像される。しかし、私の印象では、宗教的には極めて淡白な所だと思うが、百花繚乱だ。
重井町内には、バブテスト教会、金光教教会があり、今は無くなったが天理教教会があった。それに因島ペンション白滝山荘は宣教師の住居として建てられた。日蓮上人の供養碑とも呼ばれる南無妙法蓮華経の碑は町内に3箇所もある。村四国もあるし、江戸時代には末広講という代参講があった。数人程度の大師講もたくさんある。
また、「重井町史年表」には、昭和27年に新興宗教(俸誠会、生長の家)伝来、と記されている。
今回は、修養団俸誠会について記す。俸誠会については173回「平和一神碑」で少し述べた。当時の話として、「俸誠会へ行けば重井町の名士に一度に会える」と言われたように、各界のリーダーが揃って会員だったのだろう。
写真㊤は昭和34年9月23日に平和一神和石を設置した時のもので太鼓が写っている。太鼓を叩きながら「豊年だー、万作だー、よーかったね」と囃しながら登った。まさに瀬戸内の農村にピッタリの光景であった。
出居総裁の帰京を多くの人が重井西港=写真㊦=の桟橋へ見送った。
尾道駅まで送った人たちもかなりいた。「重井町史年表」には新興宗教と書かれていはいるが、「修養団」であって各自の家の宗教、例えば曹洞宗善興寺の檀家であり八幡神社の氏子であることには、変わりはなかった。
伝六への民衆の熱狂も似たようなものだったと想像する。なお、伝六への崇拝と白滝山の多数の石仏は別物である。伝六は文政11年3月15日に亡くなるが、2月に阿弥陀三尊像が完成し、前年11月に釈迦三尊像が完成していることからも、それはわかる。それ以前から崇拝されていたわけである。
さて、俸誠会との関わりで重要なことは、全国の会員宛に郵送された、因島支部発行の「反省ノ泉」(月刊)に昭和43年3月から50回に渡り、重井町文化財協会初代会長柏原舒延氏(因島支部理事)によって「霊峰白滝山の沿革」が連載されたことである。その22回には「この功過自知録中には、俸誠会のみ教えに通じるものがありますからその濃い部分を今一度掲載してみたいと思います」と記されている。
写真・文 柏原林造
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