村上水軍の「軍楽」の研究【1】

神戸大学国際文化学研究科 山本詩乃

はじめに

研究の目的

瀬戸内海には中国地方と四国地方を結ぶ回廊のように多くの島々が密集している。そこでは古くから海賊衆と呼ばれる者達が活動していた。時代を経て、彼らは水軍と呼ばれる海における軍事集団を組織するに至る。また彼らは戦だけではなく、瀬戸内海を航行する船の警固、更には貿易のための公の船の警備にあたるようにもなった。

こうした水軍の動きが活発化するのは南北朝時代から室町時代、戦国時代にかけてである。この頃になると水軍は大きな戦に参加するようになり、その名が歴史上に現われ始める。村上水軍もその一つである。彼らは瀬戸内海中央部の芸予諸島を主な活動の舞台とした。その存在をよく示したのは、弘治元年(1555)9月の厳島合戦であろう。この戦における毛利軍の勝因は、村上水軍を味方につけたことにある、と言われることもある。

本論文では、戦における村上水軍の「軍楽」について史料を基に考察する。尚、本論文における「軍楽」とは、洋楽とは区別し、江戸時代以前の日本で戦の最中に使用されていた音具とそれによって鳴らされていた音、また人々が上げる掛け声を示すこととする。

本論文で中心としている史料は『三島流水学軍用集並同抄』である。この史料を見ることとなったのは、せとうちタイムズと呼ばれる地元紙を偶然目にし、海賊が使っていた楽譜が残されている、という内容を目にしたことによる。そこから、東京大学駒場図書館のホームページで公開されているこの史料を見るに至った。

しかし、この史料については音楽学的な研究はほぼ皆無であり、それ以外の分野においても研究はほとんどされていないことも解った。そこで本論文ではこの史料の翻刻をし、そこから村上水軍の「軍楽」がどのようなものであったかを考察し、その詳細を明らかにすることを目的とする。

新連載始まる

今号3面に新連載が始まった。神戸大学国際文化学研究科日本学コースM1の山本詩乃さんによる「村上水軍の『軍楽』の研究」である。

これは、沖縄県立芸術大学4年生の時の山本さんが卒業論文(2013年1月)として著したものである。

彼女は昨年8月、因島を訪れ、椋浦町の法楽踊りと村上水軍陣太鼓を取材した。

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2012年8月、取材のため来因した筆者(芸予文化情報センターにて)

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