続・井伏鱒二と因島【7】その作品に表現された「因島」

私は、二作品ともに「汽笛」の合図とともにこれだけの動作が同時に見ることができるのは、きわめて狭隘な地に歓楽街が存在した三庄町神田と理解するのが自然だと考える。神田に関して「せとうちタイムズ」に「備後クラブ」関連の次の記事がある。

時代とともに姿をかえる三庄町・神田

備後クラブの歴史は、三庄町神田(じんでん)の移り変わりの歴史でもある。備後クラブは大正初期に大阪鉄工所因島三庄分工場が賑わったころに会社の接待などを目的に建てられた高級割烹料亭で、その周囲には、工場長宅や課長宅など赤壁の洋館があったという。坂の下は花街で、夜でも昼間のように明るく賑わっていた。芸奴置屋、三味線の先生、日本髪結い、玉突き、下駄屋、写真館、銭湯など各種の店があり、因島随一の繁華街であった。太平洋戦争末期には、この町並は空襲に見舞われ犠牲者がでた。

『せとうちタイムズ』(2005年8月27日号)

また、「ふるさと三庄」には次の記述がある。

神田の置屋と検番は第一次世界大戦による船舶工業と海運界好況の余波を受け、大正7年(1918)家老渡になにわ浪速ゆうかく遊郭が設立されると共に、神田にも備後ドッグ入渠船の船員を客とする旅館と料亭が開業し、げいしや芸妓の置屋と検番が出来て、紅灯の下、若者達の慰安の場となり盛況を見せたが、昭和17年12月、戦時体制のもと、遊廓と一緒に営業停止となった。

『ふるさと三庄』P33・34(昭和59年6月12日発行松本賢編集三庄老青連合会発行)

昭和31年頃の備後クラブの通り(上)とアーチ式門構え(下)

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