青木昌彦

ふたりの時代【64】青木昌彦名誉教授への返信

忘れえぬ人たち(6)  映画評論家・白井佳夫さんとの出会いは衝撃的であった。初対面であるにもかかわらず痛烈に批判されて、「映画=文化」に目覚めることになった。そしてその出会いが、政治運動のあり方の変革を模索していた当時の...(09/10/10) 全文 >>
 

ふたりの時代【50】青木昌彦名誉教授への返信

政治裁判の21年【4】  破防法裁判21年間において様々なことを学んだ。それらはすべてかけがえのないものであったが、とりわけそのなかでも、「国家意志」と「国家の論理」を体感できたことは貴重な経験であった。国家意志の表れの...(09/06/27) 全文 >>
 

ふたりの時代【45】青木昌彦名誉教授への返信

70年安保闘争と私(11)  70年安保闘争について政治闘争を軸に記述してきたが、視点を変えて大学闘争という方向から見てみよう。ただし私は、大学闘争の指導にほとんどタッチしてないので、詳しくは語れない。...(09/05/23) 全文 >>
 

ふたりの時代【44】青木昌彦名誉教授への返信

70年安保闘争と私(10)  ベトナム戦争の泥沼化の日本国内に与える影響が深刻化するなかで、全学連のデモを取り囲み、ともに行動しようとする住民の動きが強まった。その傾向は、米原子力空母エンタープライズ寄港阻止・佐世保闘争...(09/05/16) 全文 >>
 

ふたりの時代【43】青木昌彦名誉教授への返信

70年安保闘争と私(9)  年があけた1968年1月の米原子力空母エンタープライズ寄港阻止・佐世保闘争は大反響を呼んだが、私は現地に行かず、東京での留守番役だった。当初は、現地に向かいデモの指揮をとる決心であったが、「そ...(09/05/09) 全文 >>
 

ふたりの時代【42】青木昌彦名誉教授への返信

70年安保闘争と私(8)  10月8日の羽田闘争からほぼ一カ月後の11月12日、全学連は再び羽田闘争を決行する。第二次羽田闘争と呼ばれている。佐藤栄作首相はジョンソン大統領との日米首脳会談のために羽田空港から飛び立とうと...(09/05/02) 全文 >>
 

ふたりの時代【30】青木昌彦名誉教授への返信

人生選択の広島大【2】  ある日、学科は違うが同学年の活動家が私を寮に訪ねてきた。初対面であるにもかかわらず「次の選挙に一緒に執行委員に立候補してくれないか」と、申し入れてきた。それは熱っぽく、今にも泣き出さんばかりの勢...(09/02/07) 全文 >>
 

ふたりの時代【29】青木昌彦名誉教授への返信

人生選択の広島大(1)  1963年に入学した広島大学は、私の人生選択の場になった。職業の選択ではなく、もはや後戻りのできない、生き方の選択である。現在、主要な施設は東広島市にあるが、ここで問題になるのは、広島市東千田町...(09/01/31) 全文 >>
 

ふたりの時代【28】青木昌彦名誉教授への返信

島からの旅立ち  60年安保闘争の高揚と衰退の時期は、私の島からの旅立ちの準備=広島大学受験準備の過程と重なっている。安保闘争が本格化した1959年4月には、地元因島の三庄中学校3年に進級し、翌60年に因島高校に入学した...(09/01/24) 全文 >>
 

ふたりの時代【27】青木昌彦名誉教授への返信

新しい波  戦後政治史を画する60安保闘争を担った学生群像への興味は尽きない。昨年の暮れに東京で開かれた「ブンド創立50周年記念飲み会」に案内を受けたので、取材をかねて出席した。その場で幸運にもブンド書記長であった故島成...(09/01/17) 全文 >>
 

ふたりの時代【26】青木昌彦名誉教授への返信

天を衝く勢い  60年安保での全学連の闘いをみるに、理論と実践の両面において、まさに「天を衝く勢い」を感じる。青木昌彦氏は、前掲の著書で次のように語っている。...(08/12/20) 全文 >>
 

ふたりの時代【25】青木昌彦名誉教授への返信

学生運動私論(下)  大学において学生が結束してしまえば大学当局は二進も三進も行かない。警官導入でどうにかなるものではない。とりわけ当時の東大駒場には、旧制一高時代以来の伝統で「警察は一歩も入れてはいけない」という警官ア...(08/12/13) 全文 >>
 

ふたりの時代【24】青木昌彦名誉教授への返信

学生運動私論(上)  「ふたりの時代」の源流を探索していくと、ふたつの安保闘争の土台となった戦後学生運動とは何であったのか、調べたくなった。しかも、その渦中にあった者の体験談を通して知りたくなった。  青木昌彦氏は、「私...(08/12/06) 全文 >>
 

ふたりの時代【23】青木昌彦名誉教授への返信

0歳の戦争体験(下)  最近、因島空襲調査のなかで出会った出来事を通じ、あることに気付いた。それは、学生時代に激しく敢行したアメリカのベトナム戦争反対闘争や安保・沖縄闘争、在日米軍基地撤去闘争が、私の受けた空襲に一矢を報...(08/11/29) 全文 >>
 

ふたりの時代【22】青木昌彦名誉教授への返信

0歳の戦争体験(上)  0歳時の戦争体験は経験と言えるのか、私にとって大きなテーマである。わが家が米空軍の空襲を受けたのは、私が生まれて11カ月が経った頃だった。祖母と母とともに全壊した家屋の下敷きになった私は、仮死状態...(08/11/22) 全文 >>
 

ふたりの時代【21】青木昌彦名誉教授への返信

源流を訪ねて(4)  私は出身の広島大学の60年安保闘争についてほとんど知らない。ただ文学部の学生で、当時の全学連中央執行委員であった千葉喬之氏から強い影響を受けたことは今でも忘れることができない。...(08/11/15) 全文 >>
 

ふたりの時代【20】青木昌彦名誉教授への返信

源流を訪ねて(3)  今年の7月5日に行なわれた「私の履歴書 人生越境ゲーム」出版祝賀会で20数年ぶりに再会し、その後何回かのメールを頂いた方にお礼を込めて、私のまとめた「瀬戸内の太平洋戦争 因島空襲」を送ったところ、そ...(08/11/08) 全文 >>
 

ふたりの時代【19】青木昌彦名誉教授への返信

源流を訪ねて2  青木昌彦氏は1938年(昭和13)、名古屋で生まれ東京に移り、その後神奈川県湘南の鵠沼や片瀬で育った。太平洋戦争勃発は三歳半のときである。空襲がはじまると、母や叔母たちと長野県に疎開した。敗戦のことを次...(08/11/01) 全文 >>
 

ふたりの時代【18】青木昌彦名誉教授への返信

源流を訪ねて 一  10月19日の日曜日、私は因島椋浦町にある艮神社・秋の大祭のなかにいた。青木昌彦氏と出会ってからもう1年が過ぎたのだ。...(08/10/25) 全文 >>
 

ふたりの時代【17】青木昌彦名誉教授への返信

伝説の60年安保 下  最近、「60年安保のころ何歳だった」と家内に尋ねたところ、「10歳で小学校5年かなあ、アンポハンタイ、アンポハンタイと言って遊んでいたことを覚えている」という返事がもどってきた。当時、彼女は埼玉県...(08/10/18) 全文 >>
 

ふたりの時代【16】青木昌彦名誉教授への返信

伝説の60年安保 中  「私の履歴書 人生越境ゲーム」は学生運動、そのなかでも1960年1月16日の羽田闘争から始まっている。よほどの印象を残したのだろう。自身の被逮捕経験のことも披露している。...(08/10/11) 全文 >>
 

ふたりの時代【15】青木昌彦名誉教授への返信

伝説の60年安保(上)  60年安保闘争から70年安保闘争の10年間は、日米安保同盟の廃絶が社会的テーマに押し上げられた、特別の時代であった。安保を粉砕して、日本において革命的情勢をきりひらこうとする勢力が社会を牽引した...(08/10/04) 全文 >>
 

ふたりの時代【14】青木昌彦名誉教授への返信

二通の起訴状 下  破壊活動防止法違反の起訴状は、4月28日沖縄デー闘争について、8日から11日も前に私が行った、3カ所での演説を犯罪であるとしたものである。4月17日の東京都文京区の文京公会堂、4月20日の新宿区明治公...(08/09/27) 全文 >>
 

ふたりの時代【13】青木昌彦名誉教授への返信

二通の起訴状 中  (起訴状つづく)すべてのこの場に結集した青年労働者諸君、四月二八日弾圧を打ち破り警戒線を打ち破り全都制圧、首相官邸を占拠するたたかいを勝ち取ろうではないか。わが全学連は必ずや中核旗を先頭にたたかうこと...(08/09/20) 全文 >>
 

ふたりの時代【12】青木昌彦名誉教授への返信

二通の起訴状 上  私の人生を決めた二通の起訴状がある。自らとその時代を語るには、どうしても、それを避けて通れない。いずれも一九六九年四・二八沖縄デー闘争に関するものである。...(08/09/13) 全文 >>
 

ふたりの時代【11】青木昌彦名誉教授への返信

出版祝賀会 下  私には三種類の顔と人間関係がある。生まれ故郷の因島、広島大に通った広島市、波乱に満ちた東京時代。高校生までとUターン後を合わせて三十七年が因島。広島市にはほぼ三年。東京はおよそ二十二年。極端な「郷に入り...(08/09/06) 全文 >>
 

ふたりの時代【10】青木昌彦名誉教授への返信

出版祝賀会 上  連載も10回目を迎えた。青木昌彦氏の日経新聞「私の履歴書」登場によって、私の生きる姿勢と生活環境がいかに劇的な変化をとげたか、述べてきた。この変化はさらに進行するのである。いや、予想もしないコペルニクス...(08/08/30) 全文 >>
 

ふたりの時代【9】青木昌彦名誉教授への返信

青木廣光氏の功績 下  青木廣光氏の功績は、無内容な「村上水軍末裔論」にとらわれることなく、幕末から明治にかけて、因島など瀬戸内の男たちがどのように生きたか、具体的に調査をつづけたことにある。祖先である青木忠右衛門の生涯...(08/08/23) 全文 >>
 

ふたりの時代【8】青木昌彦名誉教授への返信

青木廣光氏の功績(上)  わが家に、光風会会員、日展会友の画家である青木廣光氏の一枚の絵が額に飾られている。椋浦町に住むにあたって、父から譲り受けたものである。この廣光氏が、昌彦氏のルーツを解き明かす鍵となる人である。昨...(08/08/09) 全文 >>
 

ふたりの時代【7】青木昌彦名誉教授への返信

まさかの縁(下)  椋浦町は予想だにしなかった人生上の大逆転の場になってしまった。全学連や政治闘争から逃亡するために生まれ故郷の瀬戸内海の島、そのなかでもここだけは大丈夫と思ったその場所に住み着いた故にこそ、全学連や60...(08/08/02) 全文 >>
 

ふたりの時代【6】青木昌彦名誉教授への返信

まさかの縁 中  青木昌彦氏と私の歩みと現在は、どのように考えても正反対である。たしかに学生運動を出発点とする意味では共通性を有しているが、そのあとはまったく異なっているように思える。交差するなどとは考えられない。...(08/07/26) 全文 >>
 

ふたりの時代【5】青木昌彦名誉教授への返信

まさかの縁 上  私が松本籍を抜けて青木籍に入らなければ、おそらく青木昌彦氏との出会いはなかったであろう。まずはそのあたりから整理してみよう。...(08/07/19) 全文 >>
 

青木昌彦出版祝賀会「私の履歴書 人生越境ゲーム」因島の村上会頭が出席

青木昌彦出版祝賀会「私の履歴書 人生越境ゲーム」因島の村上会頭が出席  6月下旬に国際経済学連合(IEA)会長に就任したばかりの尾道市因島椋浦町に祖先を持つ、青木昌彦スタンフォード大名誉教授著「私の履歴書 人生越境ゲーム](日経新聞出版社)の出版祝賀会が5日、東京半蔵門のホテルで開催された...(08/07/12) 全文 >>
 

ふたりの時代【4】青木昌彦名誉教授への返信

善は急げ 下  青木昌彦名誉教授のルーツについて考え、調査をしていて独特な親近感が生まれてきたようだ。後に青木廣光氏に説明していただくことになるのだが、昌彦氏と私は、どのような繋がりになるのか、漠然と考えるようになった。...(08/07/12) 全文 >>
 

ふたりの時代【3】青木昌彦名誉教授への返信

善は急げ 中  尾道市因島椋浦町は因島のなかで最も小さな町である。三月三十一日付けの統計では、五十三世帯、百十八人が住んでいる。その町の海岸近くにある墓所の一角に、青木忠右衛門の碑が建っている。「徳川幕府軍船美嘉保丸舩将...(08/07/05) 全文 >>
 

ふたりの時代【2】青木昌彦名誉教授への返信

善は急げ【上】  この数年間の私の行動原理は実に単純で、「善は急げ」である。荷の重い課題に取り組む場合にはとりわけそうだ。まず、世界的経済学者である青木昌彦スタンフォード大名誉教授のイメージづくりに取りかかった。...(08/06/28) 全文 >>
 

ふたりの時代【1】青木昌彦名誉教授への返信

プロローグ―祭の日の申し入れ  青木昌彦という名を聞いたのは、何十年ぶりのことだっただろうか。私の住む因島椋浦町にある艮神社の秋の大祭でのことだった。町の複数の有力者から「青木昌彦について調べてくれんか」と、突然申し込ま...(08/06/21) 全文 >>
 

「私の履歴書 人生越境ゲーム」青木昌彦氏 出版祝賀会 7月5日 東京半蔵門

「私の履歴書 人生越境ゲーム」青木昌彦氏 出版祝賀会 7月5日 東京半蔵門  この6月に国際経済学連合会長(IEA)に就任しノーベル経済学賞の可能性が最も高い日本人研究者のひとりであり、因島椋浦町に祖先を持つ、青木昌彦スタンフォード大名誉教授が上梓した「私の履歴書 人生越境ゲーム」の出版祝賀会が...(08/06/14) 全文 >>
 

青木昌彦著「私の履歴書」4月24日発行 日経出版社

青木昌彦著「私の履歴書」4月24日発行 日経出版社  ノーベル経済学賞の可能性が最も高い日本人研究者のひとりと言われ、尾道市因島椋浦町に祖先をもつ、青木昌彦スタンフォード大名誉教授が書いた、「私の履歴書 人生越境ゲーム」が24日、発行された。日本経済新聞出版社、1995円...(08/04/26) 全文 >>
 

青木昌彦氏が「私の履歴書」出版

青木昌彦氏が「私の履歴書」出版  ノーベル経済学賞の可能性が最も高い日本人研究者のひとりと言われ、尾道市因島椋浦町に祖先をもつ青木昌彦スタンフォード大名誉教授が、「私の履歴書 人生越境ゲーム」(日本経済新聞出版社、1995円)を出版する。発売予定日は4...(08/04/12) 全文 >>
 

青木昌彦名誉教授ら東京でフォーラム開催「会社統治と人的資源」

青木昌彦名誉教授ら東京でフォーラム開催「会社統治と人的資源」  ノーベル経済学賞の可能性が最も高い日本人研究者のひとりと言われ、尾道市因島椋浦町に祖先をもつ青木昌彦スタンフォード大名誉教授が主宰するVCASI(ヴィカシ、比較制度研究所)公開フォーラムが18日、東京都内で開かれた。 ...(08/01/26) 全文 >>
 

世界的経済学者・スタンフォード大学 青木昌彦名誉教授 祖先訪ね因島椋浦町へ

世界的経済学者・スタンフォード大学 青木昌彦名誉教授 祖先訪ね因島椋浦町へ  ノーベル経済学賞の可能性が最も高い日本人研究者のひとりと言われ、来年から国際経済学会連合の会長に就任する、米国スタンフォード大学・青木昌彦名誉教授が、祖先を訪ねて尾道市因島椋浦町を訪ねる意向であることが分かった。 青木...(07/11/24) 全文 >>