誇るべき修道健児4人のへこたれぬ魂「咲いた桜・散った桜」【2】

平山 郁夫

あまりにも有名な平山画伯。修道の誇り。生口島瀬戸田町生まれ。瀬戸田といえば、ミカン、耕三寺、平山美術館、兄弟9人、四男五女の上から3番目。

長男の吉男は大正14年生、広島一中、東大法学部卒の秀才。兄のすすめもあって平山も広島一中を受験したが体操の鉄棒でしくじって落ちて修道に入った。頭の良い家系なのだ。修道は、そういう経歴の学生が多く筆者もその流れである。

平山の先祖は、承応3年(1654)に没した柴田孫左門と言われ、賎ケ岳の戦いで豊臣秀吉に敗れた柴田勝家の孫だと寺の過去帳に書いてあり、どうして北陸の柴田が、瀬戸内海の温暖な島にたどりついたのか解らぬが、菩提寺には、その孫左門のお墓をはじめ、代々の何十墓もの墓が並んでいた。檀家総代を務めるなど信仰心の厚い環境で育った。

また母方の大伯父清水南山(東京美術学校卒、当時有名な彫金家)の強い影響を受け、平山も東京美術学校日本画科へ進学し前田青邨(まえだせいそん)という当世一流の師にめぐりあえる。人生とは縁である。ここで平山の一生が決まることになる。

ところが、よい師に恵まれ、向学の志は強かったが、男盛りの10数年間原爆症(白血病)にかかり、食欲もなく、どうき、目まいで寝たり起きたり、それで収入が無く、美術学校の同級生の妻、松山美知子(首席卒業)が働き、睦荘という8畳1間の安アパートで病気と闘いながら子守をし、気分が良い短い時間に絵を画く時代が長く続く。

へこたれずに…。そして苦節10年「仏教伝来」を描きあげて、一躍画壇に踊りでた。それから次々と調子がでて、うれしいかな体調もだんだんと良くなって、いい作品を逐次発表し、画壇で不動の地位を占めていく。

詳しいことはパソコンで検索していただくとして、アフガニスタン、シルクロード、カンボジア、アンコールワットなどの仏蹟の取材、修復保存の第一人者であり、その足跡は、中国、韓国、北朝鮮にも及んだ。

北朝鮮は簡単に入国滞在できるものではない。招聘されて遺跡の調査保存を任された。その各国の踏破がすべて絵になった。

出身母校の東京芸術大学学長、仏レジオン・ド・ヌール勲章、仏コマンドール勲章、仏ジェームズ・スミソン賞授賞と芸術の国フランスにも認められ、フィリピンのマグサイサイ賞、日本最高の文化勲章も受章。素晴らしい実績で、満開の美しい桜であった。

話はもどる。昭和20年8月6日、中学3年、平山は学徒動員で、広島兵器廠にいた。朝8時15分、爆音がしたので空を見上げたら、B29が飛行機雲を引いてキラキラと光って上空に入ってきた。空襲警報も出ないし、サイレンも鳴らない、そして高いところで落下傘が開いた。

「変なものが落ちてくるなー」いつか空を舞った宣伝ビラ『抵抗をやめよ』かなーと思ったりもして、弾薬箱を作る木材を持って小屋の中に入った瞬間「ピカッ」と大閃光で目の前が真っ白になり、次に熱線が身を包んだ。

熱いと半袖の身をかばった。今度は、大音響とともに猛烈な爆風が体を浮かせ、小屋中を転げまわった。一瞬の差でやけどもせず、血も出ず、埃で体がザラザラし帽子が飛んだだけだった。

耳は何も聞こえず、無声映画のように周りの風景がボロボロに壊れ、爆風とともに散っていった。外にいた軍人、女子挺身隊は火傷して、皮膚がめくれてたれ下がり、ガラスが体中に食い込んでいる人もいた。

火が燃え広がり、煙が充満して阿鼻叫喚の地獄絵図を見た。しかし、平山は一瞬の差で助かり強運であった。そのむごい悲劇的惨状を『広島生変図』という原爆の炎の図で表現し、一大センセーションを巻き起こした。

脳裡から離れぬ劫火、朱で、赤で画面いっぱいに燃やし、右上に目玉をカッ見開いた憤怒の相の不動尊を配して原爆否定の象徴とした。

平山は、この絵を描き終わって、何かを吐き出した気がした。

筆者が水泳部のキャプテンのとき、一級下の水泳部員の金森が『田中さん、こいつ、よう泳ぐですよ』と、級友の平山をプールに連れてきた。泳がしてみると背泳が速い。平山の生家は、まわりが海で、赤子のときから泳いでいて、小学校のとき優勝したこともあるとか。

修道の水泳部はサッカー部(CP木村静人、新宅哲吾)と共に中国地区では鳴らしていた。だが、背泳が弱かった。即日、入部を許可した。

平山はねばり強い性格で、へこたれず、もくもくと泳いで練習を積み重ね、いい選手に仕上がっていた。

練習が終わると、母が乏しい材料で作ってくれた、7分づきの米(白米ではない)5、麦3、オカラ2のポロポロの握り飯を平山と分け合って頬ばった。

食糧難時代だったので、我われはいつも空腹だった。後年、平山と会ったとき、『田中先輩、あの握り飯の有り難さは、今でも忘れていませんよ、お母さんは、お達者ですか』と、何度も握手してくれた。母は健在だったので、そのことを話すと、『あの有名な平山さんが…』と、感激して嬉しがった。

しかし、戦時体制と、学徒動員に狩り出されて休部となり、水泳大会も中止、平山の出番はなかった。今でもコンビニで握り飯を買うと、平山と母を思い出す。

桜は、いつかは散る。でも平山桜は、日本のためにも、あと10年、いやあと5年でいいから咲き続けさせてやりたかった。残念!

平成21年12月2日。きれいな色で散ってしまった。79歳永眠。

田中正晴(旧中38回)

広島修道中学校在学生集合写真(昭和19年頃)

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