平山郁夫美術館10周年記念「特別展」17日―5月27日 近作中心に40数点を展示

尾道市瀬戸田町の平山郁夫美術館は4月で開館10周年を迎える。3月17日には一足早く、「記念特別展平成の平山郁夫」をオープン5月27日まで開催する。

同美術館は1997年4月、旧豊田郡瀬戸田町が総工費17億円をかけ建設した日本建築を象徴する切り妻の大屋根を外観=写真=に細長い敷地を活かした正面門より玄関までのアプローチ。門をくぐり抜けると、別の世界に入り込んだ雰囲気を感じ、身の引き締まる思いを受ける。

玄関からロビーに歩を進めると瀬戸内海の景色をモチーフにしたデザインの庭園が目に飛び込む。17日午前9時からのオープンセレモニーには関係者約百人が参加。平山画伯・美知子夫妻、同館理事長(尾道市長)亀田良一氏、主催中国新聞社川本一之氏、同館初代理事(元内海造船社長)三輪善雄氏、設計者今里隆氏がテープカット。

平山郁夫

平山画伯の説明を聞きながら展示作品を鑑賞。第3展示室で約30分にわたり記者会見。日本美術院理事長として日本画壇をリードする平山さんは「文化財赤十字」を提唱して紛争地域の文化財保護に奔走。アフガニスタンの仏教遺跡、バーミヤンの巨大石仏の破壊は、そのまま「負の遺産」として残すことを提唱して国際的な波紋を呼んだ。その思いは、人類が自らの遺産を破壊する愚行への痛恨の念。平山画伯の広島での被爆体験にもつながっている。

人道的にはアウシュビッツ、核問題では広島の原爆ドーム、そして自らの遺産を破壊したバーミヤン。こうした「負の遺産」の意味を今後もかみしめるべきだろうと、自らの歩みを振り返っての思いを語った。

同館学芸員が選んだ4点

「皓月ブルーモスク・イスタンブール」1989

皓月ブルーモスク・イスタンブール

平成元年の院展に発表された平山郁夫の持ち色である「青」が前面に使われたブルーモスクの夜景を描いた作品。月の光にモスクのドームが映える。背景には、銀河と星座が配されている。

「アンコールワットの月」1994

「月」は、アンコールワット遺跡の保存修復を呼びかける展覧会のため描かれた作品で、「朝」は、その対として後に制作された作品。展覧会を通じて文化財赤十字活動への協力をよびかける平成年間の平山郁夫のスタートとなった作品。

「三聖人平和の祈り」2002

タリバンによる、アフガニスタン・バーミヤン遺跡の大石仏破壊以降、中央アジアから中近東における宗教対立を淵源とするかのような平和の危機が続いていることに対し、宗教の枠を越えて、平和を求めようというメッセージが込められた作品。

「仁和寺月華」2004

「平成の洛中洛外」展のために描きおろされた作品。月と桜、塔という人気の高い絵柄である。本展では、「洛中洛外」展から、代表的な作品8点を展示する。(会期後半には2点を展示替え)―平山郁夫美術館学芸員・別府一道。

文化の香りのする町づくり

平山郁夫美術館の仕掛け人で当時の町長だった和気成祥さんが、こんなことをつぶやいた。

瀬戸田は、くっきりした顔が持てない中途半端な町だったころ「西の日光」で知られる耕三寺があるが、多くの国宝を所蔵する大山祇神社がある隣の大三島にはかなわない。造船所も隣の因島に及ばない。ミカンもレモンもこの島だけのものでない。水軍の本拠地はほかの島で遺跡も見当たらない。

思い悩んで、気がついたのが同町出身の日本画家平山郁夫さんの存在だった。

「平山先生は、自分を育ててくれたのはこの島の環境―と、よく言っておられる。先生を生んだ島、ということで、島の個性を作っていけないものだろうか」と、文化の香りのする町としてのイメージを全国に発信する位置づけに到達した。

道路に「ろう石」で絵を描いた少年時代、被爆という過酷な体験にあった青年時代を経てシルクロードに開眼、現代日本画壇の中心に座った画伯を育んだ環境の中で、その作品や資料を展示しようという計画は平成4年に平山記念館建設基金条例へと発展した。

平山さん本人は、この当時「お話はありがたいが、道半ば。記念館を作っていただく年齢でもない」と、ためらう一方で、「もし作るなら私個人の記念館というよりも、瀬戸田が画家を生んだこと、環境が創造性を生んだことにポイントを置いたほうがいいと思う。風土と創造の関わりを明らかにし、町民が、自分の島に誇りが持てるような内容のものにできるならば」と画伯の承諾のメッセージ。

開館10年、地方からの発信はここからはじまった。

ひらやま・いくお 1930年6月15日豊田郡瀬戸田町に父・峰市、母・ヒサノの次男、8人兄弟の三番目として生まれる。広島修道中学3年の8月、学徒勤労動員で作業中、原爆投下の瞬間を目撃、放射能を浴びる。11月、忠海中学(旧制)に転校。1947年東京美術学校(現東京芸術大学)日本画予科入学。52年同校卒。主任教授前田青邨に師事、東京美術大学美術部日本画家副手となる。

53年、同大学助手。第三十八回院展に「家路」が初入選。55年(25歳)で東美同期生の松山美知子と結婚。59年、原爆放射能被爆で白血球減少。苦しみのなかで「仏教伝来」が院展で高い評価を受けた。当時の価格は40万円で、現在、長野県佐久市立近代美術館の代表的な作品になっている。

やがて仏教画の源流をたどるシルクロードへのテーマを広げた。89―90年と2001―5年に東京芸大学長、96年から日本美術院理事長。98年、文化勲章受章。ユネスコ親善大使として「文化財赤十字」を提唱、文化遺産保護活動に尽力。

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