碁打ち探訪今昔四方山話【12】日本棋院囲碁殿堂資料館と徳川宗家一八代当主(3)

徳川家康が日本棋院第一回殿堂入りを果たしたのは当然のことと思われますが、あえて異論を唱えるとすれば囲碁界を庇護した功績によるものです。その他の殿堂入りは本因坊算砂、碁聖・本因坊道策、本因坊跡目秀策それに続き碁打ちの名人といわれた人たちが選ばれています。そこで徳川将軍は別格の資格で功労を称えるべきではなかったのでは―という考えです。

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日本棋院殿堂資料館で説明を受ける徳川さま


日本棋院としては徳川記念財団との打ち合わせが万全でなかったか、気遣いに問題があったのでは―と、悔やまれます。世が世なら大変な家柄の人たちで三顧の礼を尽し、上にも下にも置かぬ立場上の礼儀が必要だったのだと推測されます。その一例としてオープン前で人けのなかった殿堂資料館にいらっしゃった徳川恒孝(つねなり)さんにお声をおかけしたところ「名刺を見て『つななり』とお読みになった人は全国であなたぐらいです」と、初対面でジョークがいただけるほど気さくな方でした。特に平成15年に財団法人「徳川記念財団」を設立、理事長就任以来、関係者がうるさくてね…と、オープン式典に出席しなかった理由をポツリと、こぼされました。

話題がそれますが、平成22年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」が11月28日に終りましたが、日本を救ったのは龍馬でなくて、最後の将軍「第15代徳川慶喜(よしのぶ)」がヒーローという見方もできます。慶応3年(1867)10月、大政奉還をせず、今でいう山口・鹿児島両県の薩長連合軍と決戦を交えることも可能だったと思われます。幕府の力がおとろえたといっても兵力的には負けていなかったと思われています。しかし、日本列島が分裂、支那(現中国)のようにヨーロッパ列強帝国が蚕食することを恐れ慶喜が恭順の意を表したことは歴史上、わが国の歴代偉人にあげていいのではないでしょうか。

ただ、最後の将軍慶喜と囲碁のかかわりは残念ながらお城碁が中止されていました。内憂外患、国事多難で碁どころではありません。しかし静岡に隠棲した後半生は20を超える趣味を楽しみ、なかでも写真と油絵はプロなみ、囲碁はプロの指導も受けており、現代のアマ4、5段。大隈重信に「その強さ、気品、大局観におどろいた」と、いわせたそうです。

日本棋院殿堂資料館で説明を受ける徳川さま。

(庚午一生)

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