因島にて… つかみかけた確信【34】

原田真二さんのこと(終)
 テレビ朝日系広島ホームテレビは8月3日、特集「65回目の夏…語られなかった因島空襲」を約13分間にもわたって放映した。私はその日、広島市にいて同局のロビーで、被爆ピアノコンサートで活躍する、ピアノ調律師・矢川光則さんと一緒にその番組をみた。この番組放映は、「戦後65周年―因島の夏」の最後で、5つの集いとふたつの事業のしんがりを占めた。


 今年の因島空襲記念日行事は、戦後65周年ということで、特別に2日間にわたって行なわれた。最初は、尾道市立田熊小学校校庭での防空壕コンサートだった。保育所園児や小学生が出演し、老若男女幅広く参加した。夜は因島を代表するホテルである「ナティーク城山」で原田真二さんのディナーショーが開かれた。
 空襲記念日28日当日は、午前中から3つの行事が開催された。空襲が一番激しかった日立造船因島工場近くの「ポートピアはぶ」で「慰霊と証言の集い」が行なわれ、慰霊の黙祷があり、空襲体験の証言があった。因島運動公園・テニスコートでは、中学生や壮年愛好家が出場し、ピースカップ・原田真二杯ソフトテニス大会が催された。そして夕方、運動公園・多目的競技場での原田真二さんの野外ピースコンサートへと盛り上がっていった。
 参加者は、合計で1100人を超えて、2002年からはじまった慰霊行事において記録的数字を残した。島内外への影響はかつてなく大きく、歴史的事実としての因島空襲への社会的認識は確実に広がった。
 こうした情勢を背景にふたつの事業が達成された。ひとつは原田真二さんの作詞・作曲の「アイランド・オブ・ピース因島」が発表されたことである。彼は、ディナーショーで初披露し、野外ステージにおいては、アンコールにも応えて二度も高らかに歌い上げた。
 原田さんはこの楽曲制作のために4度も因島へ足を運んだ。その詞には、その時の体験や取材内容が反映している。彼はやはり天才である。因島をこのように歌い上げることのできるミュージシャンがどこにいようか。次の課題は、この曲の全国・全世界を意識したCD化である。
 もうひとつの事業が、広島ホームテレビの戦後65周年企画としての「65回目の夏…語られなかった因島空襲」放映である。その内容は、およそ十年にわたる因島空襲調査の全成果が生かされているとともに、新しい証言へと意欲的に踏み込んでいる。今後の同局の継続的な取材を期待したい。
 こうした「因島の夏」の画期的な盛り上がりは、原田真二効果のおかげとも言うことができる。彼が因島を訪れるたびに島は変わっていった。交流の範囲は、因島にとどまらず三原市、尾道市にも広がっていった。彼は疲労困憊することを怖れず、ハードスケジュールに耐えてくれた。その言動と演奏は新しいファンを開拓していった。
 行動をともにした私の耳にこびりついて離れない、彼の言葉がある。「意味もなく生まれてきた人は誰もいない」というものだ。彼は因島のステージでもこのフレーズを語りつづけた。そして彼が歌うすべての楽曲が、そのメッセージを伝えてくるのだ。
 私は、彼の新曲「グッバイ・ティアーズ」の次のところが好きだ。

夜行バス あの橋渡れば
Streetは はかない思い出
昨日にSay Goodbye
「生きていれば いいことあるさ」
そう生きてなきゃ どんなことにも 出会えない

 私はこの曲を聴くたびに、都市生活のなかで生みでた内面的苦悩を整理し、再出発するために度々島に帰省していた、青春時代を思い出すのだ。

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