追憶 ~甦る日々【1】序章 突然の電話

思いがけない人物から電話が入った。

「青木君ですか。高杉です、覚えていますか。」

大学一年の時以来の会話だった。高杉は同期で、私と同じように広島大学教育学部に属し、小学校の教師をめざしていた。また、同じ学生寮に寄宿し、互いに心を許しあう関係になった。しかし、大学2年になるとふたりは疎遠になってしまった。それは、私が急速に学生運動にのめりこんだことが主な理由である。

数えてみれば45年もの昔のことではあったが、高杉と過ごした日々を印象深く覚えていた。

「うん、よく覚えているよ。」

すぐさま私は答えた。

「そうか、それは嬉しい。ところで青木君のことを新聞で読んだんだよ。それで電話したくなってね。」

「そう、毎日新聞だね、嬉しいね。」

2008年7月、私のことが毎日新聞の全国面の「ひと」欄に掲載された。そこには、「埋もれた因島空襲の記録を調べ続ける」と綴られていた。

しばらく打ち解けた会話がつづいた。高杉は東京に出て教師になり、最後までやりとげたという。私はひとつの計画を打ち明けた。

「実は、来年の8月6日にひとりで広島大の東千田町のキャンパス跡を訪ねようと思っていてね。どう、よければ君もそこに来てみない。」

「そう、それはいいね、僕も行くよ」

高杉は喜んだ。そして互いに自主出版した書物を贈ることを約束して受話器を下した。

それから間もなく高杉から手紙が届いた。

――貴重なご著書お送りくださりありがとうございました。

因島の重い事実の真相を解きあかしていく大変さを思いますし、しかしそれをするのが貴兄らしいところのように思います。読んでいる途中なので、お会いしたときに話題にし、学ばせてください。

私は今、1960年代に生きた青春群像をテーマに小説らしきものを書きはじめています。あの時代に生きた人達は私も含めて、そこのところを封印してきましたが、そうして、その後の時代に、潜んで生きてきたように思います。

しかし、現実の時代の中であの当時の若者たちの真実を求める活動は、改めて光を当てることの意味を感じております。時代に流される流れ星ではなく、その価値を表現できないものかと思っています。

私にでさえ、重いテーマですし、貴兄はましてやその中心にいたのですから、私になど、おもいはかることは不可能かもしれません。

この年末にもお会いしたいとさわがせましたが、青年時代の膝の負傷の後遺症だとおもいますが、ここのところ寒さで歩くのに苦労しております。年末には直ると思っていましたが、今回の痛みはかなり私の予想を越えそうです。またの機会にしてください。

年齢を考えると、若いころのことを懐かしむ心の傾きがそうさせるのかもしれませんが、会うときは軽い気持ちで会ってください。

積もる話をして、今後の生きる弾みにでもなればいいのではないかと思っています。

また連絡します。会える日を楽しみにしております。

まもなく高杉の小説が届いた。私は礼の電話を入れ、その時、彼の口から思いもよらぬ名前を聞いたのである。

「大学キャンパスで青木君と会うことで永島由美子さんを誘ったらね、『私は行かない』と言われたよ。」

(青木忠)

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