空襲の子【38】因島空襲と青春群像 62年目の慰霊祭 日立造船社史と新証言

 昭和31年に発行された「日立造船株式会社七十五年史」は、同社の戦災状況全般を述べるなかで因島工場への空襲について次のように記している。

 ―因島造船所は、三月十九日と七月二十八日との二回にわたって空襲を受け、数名の死傷者を出したほか、工場の施設に損害を受けたが、ほとんど操業に影響はなかった。

 もちろんこれは事実を偽っており、当時の工場関係者の誰も信じていない。因島工場で空襲を体験して戦後、その被害の調査をつづけた故西島和夫さんは、

「因島工場で七十数名。恐らくこれは、軍部を除いた数字だと思います」

と語っている。さらに空襲犠牲者の社葬責任者の三浦勉さんは、

「働いていた工員さん、入港していた軍人さんなど100人をはるかに超えている」

と証言した。この取材場面は昨年7月26日、NHK広島放送局によって「因島空襲―新たな証言」として放映された。三浦さんは空襲直後、社葬をすませ火葬の手配を完了し、本社からの指示で報告のために、途中で空襲に遭遇しながら大阪に向かった。こうした責任ある立場に置かれていた三浦さんの証言だからこそ信憑性が高いと言える。
 社史と証言とのあまりの違いにわたしは次のような仮説をたててみた。日立造船は、向島工場以外の全工場が空襲にさらされるなかで、因島工場での被害がずば抜けて大きかった結果、逆に最小の描写をすることに迫られたのではないか。それには何らかの理由があったはずである。他工場の被害の描写にくらべて、因島工場のそれはあまりにも素っ気ない。少し長くなるが、社史から要旨を引用してみよう。

 本社事務所は、二十年三月十三日の夜半から十四日の未明にかけて空襲をうけて、ほとんどの書類と備品とを焼失、日本橋の松坂屋六階に移転。神戸事務所は隣接の当社所有の貸事務所とともに全焼。
 桜島造船所(大阪)は、三月十四日、六月一日および七月二十四日の三回にわたって空襲を受けたが、六月一日には数発の爆弾が投下され、工場の建物機械に損害をうけたばかりでなく、造兵部長荒木国幹、艤装課長西山栄三郎、防護課長太田柾九郎の三氏をはじめ、数十名の尊い犠牲者をだしたことは痛恨に堪えなかった。また、七月二十四日の空襲は一段と物凄く、造機・製罐・揚錨機・撓鉄の各工場をはじめ倉庫・事務所・住宅などに十数発の爆弾が投下され、ほとんど壊滅にひとしい惨害をうけた。造機変電所は直撃弾をうけて造機部門の動力はまったく停止し、作業ができなくなった。
 日立造船大阪病院、桜島造船所西九条分工場は六月一日空襲を受けて全焼、同小林町分工場も操業休止になった。築港造船所(大阪)は、三月十四日、六月一日および六月十五日の三回にわたって空襲を受け、従業員三十余名の尊い犠牲者を出した。
 神奈川造船所(川崎)は十九年十一月二十四日以来連続八回にわたって空襲を受け、多数の死傷者をだし、建築物にも大損害を被った。大浪造船所も二十年三月十四日空襲を受けて建物は全部焼失、機械装置も大半損傷を被った。

 写真は昭和18年、因島工場で進水した陸軍特殊船「吉備津丸」
陸軍特殊船「吉備津丸」

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