「絵の見方」【1】青木廣光さん 三人展ギャラリートークより

掲載号 14年07月12日号

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―6日、画家の青木廣光さんが因島田熊町のギャラリー喫茶ブラームスで、「水彩スケッチ三人展」ギャラリートークを行った。3回にわけて紙面で紹介する。

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今日は雨の中お越しいただいてありがとうございます。
テーマはどういう風に絵を見るかということになっておるんですが、主観で話しますけど、私の感じたところをご理解いただければありがたいと思います。
私の友達が広島美術館を見に行った。それで報告があったからどうだったと訊きました。

吸い込まれる絵

この美術館には世界の名画があるから、それを見てるとちょっと何だかおかしいなというふうな感じと緊張したということ、緊張して観ているとだんだん作品のなかに溶け込んでいってその作家の気持ちが、入り込んで非常に楽しかったということを言った。
その友達は、絵に興味のない友達で、私が初めて日展に入選した時に青木君、日展に初入選しておめでとうとは言わんぞと言った。
どしたんだと言ったら、初入選ということは、絵を描く人口を増やすため少々悪くとも入れてくれたというもんだと言った。
人の心にさわやかに入り込む、作品を観る人が吸い込まれる、そういう作品を描くべきだろうと、その時僕は思ったんですね。
それからのちの日展でも光風会でもそういうことを心がけながら自然のモチーフに託して私の感情やね、あるいは詩(うた)を、哲学を織込むという気持ちで続けてきたんですよ。なかなかそれが難しんですね。

女流画家小倉遊亀

今日は女性の方が多いようですから例を言いますと、文化功労者になられた小倉遊亀という女の先生、ご存知の方はおると思いますが、その先生が絵が好きで絵を描きたかったんですよ。
あの方は、奈良女子高等師範学校を出て女子学校の教師をしとったと思いますね。安田靫彦の内弟子の門をたたいた。
内弟子が、こういった人が訪ねて来ていますがどうしますか。先生にお伺いした。どうせ女の人のことで一時の思いやりよ、そんなもんいちいち相手しておれん、僕は忙しいから帰ってよく考えなさいと言うときなさい、と帰らせた。
帰ったんだけど、どうしても諦められんで、それから一週間その安田靫彦先生の門に座り込んで、昼の食事抜きで夕方まで、会ってくれるまで座るつもりで座っとったらしいです。
それで一週間目に大雨になった。ぐしょ濡れになってもすましてね、座っているもんだから、先生がとうとう気の毒がって、家内に言うて着替えさして初めて会ってくれた。
その時に、安田先生が絵の世界いうのは非常に難しいんだから今からでも遅くない、あなたには聖職があるんだからどうですか、と言うたら、聖職を打ち切ってでも描きたい、と返事をしたらしいです。
私のところに入門するのはいいけれども、まず掃除それから私の描いたあとの筆の掃除、それをまずうちのお弟子さんに習ってやってみなさい。3カ月筆の洗いを、そうすると今までの内弟子が洗っとったよりなんか筆がいいらしいです。
それである時そっと見ていたら、筆をいちいち一本一本根元から絵の具を落とすような洗い方をしとった。それもお湯を使って生温いああいう洗い方があったかと、先生が感心した。
それから後は、日本画は絵皿に、顔料を入れてニカワ水で溶きますから、それが、中指でやったり、親指でやったり、だから日本画の先生は、指紋が擦り切れて、ない人が多いです。それをまず3カ月。
やっと出品してもよろしいということで、その翌年出品した作品が落選した。そしてまた翌年落選した。
続けて3年連続落選したもんだから恐る恐る安田先生に、先生私に才能がないんでしょうか、ないんだったら何ぼやっても駄目だと思んですが、と尋ねたら、安田靫彦先生が「才能があるかないかは、後世の人が決めることだ。努力を重ねることによって才能を掘り起こすことができるんだよ」と言われた。
その一言に奮発しましてね、後2年がんばった。当時は徒弟制度というんですか、その先生の許可がなければ、展覧会に出せなかったらしいんです。やっと許可を得て出して3年して、2年頑張って5年目に初入選。それからとんとん拍子ですね。
それで芸術院賞、続いては芸術院会員になって、最後は文化功労賞になった。文化功労者というのは、文化勲章をもらう資格のある方で、それまでになられた女性画家ですけどね、その執念と言いますかね、それが大変だと、僕らはよう真似しませんね。
その小倉遊亀先生の作品を観てますと、洋梨を描いているのが、腐っているんですよ。部分的に。どうしてこう腐った洋梨を描くんかなと思うたら、モチーフを置いたらそのまま描いていって、どうにもならなくなったらまた新しいのを買って、同じ位置に置いて描いたらしいです。
洋梨三つ描くのに、三個描くのにそういうふうな時間をかけて、しっかり眺めて描く。

直感に賭ける

今私達の作品の展覧会を観ますと非常に残念ですけれども、はったりをきかせたり、それから自分をようみせようと思って、奇をてらったような作品がたくさんあります。
最近特に、写真を写して描く人が多い。だから写真の領域のような絵が今氾濫している。非常に僕は危険だと思う。絵は写真とは違う。絵は写真ではありません。写真のように描きたいんだったら、カラー写真を撮れば十分だ。絵とは違うんだ、と僕は思う。
そういういろんなことがありましてね、今度三人展をやることになったんですが、それぞれの作品をじっくりと観てください。
というのは、絵を描く美術作家は、どう言いますか直感に賭ける、直感に賭けて仕事をする、その時には本で読んだり、あるいは学校で先生に教わったり、そういう知識はこっちに置いて、直感で仕事をする、それが本当の作家だと僕は思います。

だからそういう作品を描いている。舟橋さんも大橋さんももちろん私も含めて写生現場で直感で捉えて描いている絵です。上手下手は関係ないんです。
絵というものは、今さっき言いましたように、観る人が吸い込まれるような絵を描く、仕事をする、それが本物なんです。まだまだ大橋さんも舟橋さんも若いんですから僕より20年若いんだから、これからできるもんだと思います。

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