島の形が変る

掲載号 14年02月01日号

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因島土生町長崎地区界隈のスナックを二次会で梯子酒。昔日の面影をたどってみた。なにしろ、かつての「赤線(遊郭)」があった歓楽街が造船景気でにぎわったころ、下駄箱の履物を探すため一円札(今の一万円札)にマッチで灯をともしローソク変わりにしていたという酔狂が流行した―という世界大戦景気を話したところ「うそ」と若い衆に一蹴された。

もっとも、長崎のまちは夜も更けると路地の中にある歓楽街から酔っ払いが大きな声を出してわめきあっているのに出あうのが日常のならわし。それが、今は静まりかえって「猫も鼠も通らぬ有様」とタクシーの運転手は声を落す。聞くところによると「造船の仕事はあるが船価が安いので」と自分のことのように嘆く。

尾道―今治航路の鉄道連絡線が停船していた長崎桟橋も今は昔の話。敗戦後のピーク時には因島の昼間人口は約4万5千人だった。現在は3万人を下回っている。因南小中の統廃合を始め因島旧市役所跡、消防署の改築など課題山積、島の形が変る。

(村上幹郎)

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