村上水軍の「軍楽」の研究【4】第一章 村上水軍の概観
掲載号 13年10月12日号
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また、海上交通や権力とのかかわりについても考察しており、前者については「土着的海賊の中から有力な者が安全保障者としての海賊に成長」したとして、後者については「最初は権力に抵抗する政治的海賊であった者が、しだいに権力に接近して水軍としての海賊に変わっていく」と考察している。(山内2005年10月)
一―二 村上水軍の歴史
瀬戸内海には大小様々な島があり、その数はおよそ3000とも言われている。その中で、村上水軍が主な活動の舞台としたのは瀬戸内海中央部の芸予諸島である。芸予諸島とは、狭義においては広島県尾道・三原市から愛媛県の今治市にかけて集まる島々のことであり、広義においてはその西方の大崎上・下島、上・下蒲刈島、呉市沖に密集する倉橋島・能美島、江田島なども含める。村上水軍と関係が深いのは前者である。そこで、本論文において芸予諸島とは狭義のものを示すこととする。
この芸予諸島で海賊が繁栄していた要因として、山内は次の三つを挙げている。一つは、そこが海上交通の要衝と難所が混在するところであった、という点である。例えば、芸予諸島の中に船折瀬戸と呼ばれる海の難所があるが、ここは伯方島と鵜島(大島の属島)にはさまれた幅約300メートルほどの小さな水路で、その名の通り、急潮によって船がたびたび難破したという。
図(1)瀬戸内海地図『中世瀬戸内海の仏教史 - 村上水軍の本拠地芸予諸島を主として』(堤2008年 表紙の見返し)
神戸大学国際文化学研究科 山本詩乃


