続・井伏鱒二と因島【22】その作品に表現された「因島」

掲載号 13年06月29日号

前の記事:“福島放射能汚染地域に生きる子どもたち【17】
次の記事: “講師を迎えて 砂文字短歌大会

小説「因ノ島」の加筆の流れを表にして整理すると次のようになる。

名称未設定-1

実はこの「因ノ島」は井伏作品の中でもGHQの検閲と因縁浅からぬ作品である。この表現もGHQの検閲と関係が深いのではないか。

(3)小説「因ノ島」とGHQ

連合国の検閲については、米国メリーランド大学の「プランゲ文庫」のホームページに簡潔にまとめられている。

それによれば、1945年8月15日に日本が連合国に降伏すると、同年8月30日にマッカーサー元帥が日本に到着した。マッカーサー率いる連合国司令部(SCAP)は日本の報道機関にプレスコードを発令した。

その後1949年11月まで、陸軍諜報部に所属した民間検閲局(CCD)が、民間におけるすべての通信報道活動(郵便・電話・電報・映画・放送・出版)に対して検閲を行った。プランゲ文庫の所蔵資料は、CCDの検閲によって集められた出版物で構成されている。

検閲が行われていた期間、日本の出版社は出版物をCCDに2部ずつ提出することが義務づけられた。その後、CCDは各出版物がプレス・コードに抵触していないかを判断し、問題があった場合には、部分的な削除、出版差し止め、保留、書き換えが求められた。なかには出版者が自ら出版を取り下げることもあった。検閲処分のいかんにかかわらず、提出された出版物の1部は出版社に返却され、もう1部はCCD用の「FileCopy」として保管された。

提出された出版物がプレス・コードに抵触するとして出版者に戻された場合、出版社はCCDの指示に従って内容を修正しなければならなかった。ただし、修正の際に削除箇所を黒く塗りつぶしたり、空白にしたりすることは認められず、必ず版を組み直すように要求された。そのため、占領が終了してかなりの時間が経過するまで、一般市民は検閲が行われていたことを知らなかった。

(石田博彦)

関連書籍

E