醍醐寺の花見と麻生文雄さん

掲載号 13年03月30日号

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 月にむら雲 花に風―。南北に長い日本列島の春は雪だまりとサクラ前線が入り乱れ、菜種梅雨にも見舞われる。

 片いなかの瀬戸内海に浮ぶ因島の田熊村浄土寺の長男として生まれた故麻生文雄さん。京にのぼり伏見の醍醐寺の大僧正位に。立身出世の中の一人で、自慢の人物だった。故郷、浄土寺のサクラの満開に出くわす曼荼羅を羨ましそうに眺め「醍醐寺の花見はこのところ地球の温暖化のせいなのか、10日ほど早く咲いてイベントとの日程がちぐはぐになり頭が痛い」とボヤク。

 平安時代から「花の醍醐」といわれるほどの桜の名所。世界文化遺産の境内を背景に枝垂れ桜、染井吉野、山桜、八重桜など千本桜が順番に咲き誇る。天下を統一した豊臣秀吉が残した歴史上有名な花見は慶長3年の春。総勢1300人がパレード。以来、毎年4月の第2日曜日に「豊太閤花見行列」が催され境内は賑う。日程をサクラに合せれば解決できる問題だが、伝統を重んじて変更できないのもこの世界。

(村上幹郎)

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