サンパチ豪雪の思い出

掲載号 13年01月19日号

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13日の成人の日、爆弾低気圧がもたらした都会地への大雪は大混乱を招いた。記者生活半世紀のうちで語り継がれるものの一つに当時の記者仲間の間で今も「サンパチの豪雪」という暗号が通用する。昭和38年(1963)の年明け、中国山地は豪雪に見舞われ、山間部の集落は各地で生活道路が寸断され集落が孤立した。

島根県松江支局に転勤して一年目で雪国の生活を楽しんでいた。だが、やがて山間部は4メートルを越える豪雪になり、恐怖や驚きが共存してきた。交通網が寸断された匹見町へ自衛隊のヘリコプターに便乗して取材を敢行した。

カンジキを足に結び着け電線をまたいで歩いた。その電線には歩く人が引っ掛からないように目印の布がぶら下がっていた。日本が高度成長に沸いていた昭和30年代の話である。

陸の孤島と化した「38豪雪」を機に集落は人口の流出が加速。高度経済成長に吸い込まれて、都市と地方の二極化が進んだ。今では道路整備もされたが町を離れた者の成人者の声を聞いてみたい。

(村上幹郎)

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