掲載号 12年09月15日号

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 駆け出し記者時代に政治部の先輩から敗戦国日本は北海道と東北はソ連、関東はアメリカ、九州は中国領に分散されてしまうところだったと聞かされてきた。戦争に敗ければ国土を占領され植民地にされても仕方ない。もしも日本がそうなっていたらと思うと、ぞーっとする。

 大東亜戦争の戦前の日本の植民地政策は台湾がうまくいっていたのに対し、朝鮮はぎくしゃくし、抗日運動も厳しかったと聞く。その反動が激しかったのが南北朝鮮の抗日派だった。戦後は戦勝国をふるまい日本の警察官も手を焼いた。

 そうしたなかでの李承晩ラインの取材はくやしい思いばかりだった。領海内での操業をしていた日本漁船が拿捕され文句なしに韓国釜山港の警備艇に連行され、漁船・漁具とも略奪されていた。浜田海上保安部の巡視船「のしろ」が、小さな韓国艇に領海侵犯の疑いで連行されたこともあったが大砲、銃の装備があっても使用できないので無念は計りしれない。がまんの子をいつまで続けるのだろう。

(村上幹郎)

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