福山市長選 市民はカヤの外

掲載号 12年08月18日号

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 揺り籠から墓場まで―と福祉国家を目指したジェントルマンの国、英国での第30回夏季オリンピック・ロンドン大会で寝不足だったのか、5日投開票の福山市長選は22.59%と中核市41市中で過去最低を記録した。

 戦前戦後は城下町としての風格を保っていたが、福山連隊があったことなどから米軍の空襲を受け城下は焼け野原。敗戦後、徳永豊市長時代に日本鋼管誘致によって県東部の中核都市として発展。商都尾道市にあった各支店支社が福山市へ移転、静かな城下町は活気付き、わずかな期間に呉市につづいて人口50万人に迫る勢い。

 徳永市長は引退後、急激な工業都市化で発展、それに伴う環境整備のおくれに「これでよかったのかな―」と、天空をあおぐ姿に何度か出くわした。

 それに変って「小川にメダカが泳ぎ、赤トンボが飛び交う福山市をとり戻そう」と県議から市長になった立石定夫氏。

 市民あっての市長選だが、今回の選挙は現職の組織選挙で圧勝が見えすいていて市民は「カヤの外」だった。

(村上幹郎)

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