継承が難しい しまなみ観光文化の維持 船便を組み込んだプランにも

掲載号 12年03月17日号

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 春はそこまで―といいたいところだが今年の冬将軍は頑固でねばっこい。とはいえ暑さ寒さも彼岸まで。島しょ部の売り物は気候温暖と多島美etc。

 どの島も港を中心に集落を形成、独自の文化を育みながら近世を迎えた。敗戦後、市町村合併による道路網の建設整備に伴う公共事業は車社会へと拍車をかけ海上交通に打撃を加えた。当初は通勤、通学が船便から車に。やがては高齢者の通院へと生活環境が様変わり、しまなみ海道の10橋7島は尾道と今治沿線を結ぶ生活道路となった。

 鐘や太鼓で陳情した瀬戸内3ルートの架橋建設競争は政治家の手腕を評価された。自転車道のある西瀬戸自動車(しまなみ海道)は開通ごとにパニックになるほど観光客が押し寄せたが、どこも一過性に終り、祭りのあとのように人波が引いた。

 それに追い打ちをかけたのが平成の市町村合併で集落が継承してきた観光文化の維持が難しくなっている地域が増えている。島を訪れる船便を組み込んだプランにも目を向けて欲しい。

(村上幹郎)

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