二葉あき子さんの訃報

掲載号 11年08月27日号

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 この夏、昭和は遠くなりにけり―と身につまされたのは県北出身の二葉あき子さんの訃報を知ったときだった。戦前の国立音楽学校卒の本格派から"流行歌手"に転向した藤山一郎、淡谷のり子らと肩をならべてファンをうっとりさせたコロンビアレコード会社所属の看板歌手の一人であった。

 戦後、主要都市の駅前広場に賑わった"闇市"から流れる「リンゴの歌」とは対象的に二葉さんの「フランチェスカの鐘」は同じ鎮魂歌でも藤山さんの「長崎の鐘」とは味が違った。なにしろ、あのいまわしい広島のピカドンの8月6日。二葉さんは芸備線の車中で広島市街地を抜けるトンネルに入った瞬間のできごと。九死に一生を得た強運の持ち主でもあった。

 NHKのノド自慢では彼女のヒット曲「水色のワルツ」や「夜のプラットホーム」が選曲されていたが、淡谷さんとキャラクターがことなりファン層も違ったようだ。ムードダンスには欠かせない曲目のいくつかがあるが、その名を残し96歳の天寿を全うした。

(村上幹郎)

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