回ラン板もちゆく度にご主人のノーモア広島の被爆体験聞く

掲載号 11年08月13日号

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短歌・中西貴子

 昭和20年8月(原爆投下・無条件降伏)は、当時の日本人の思考力・生き様を根底から変え、崩れた日である。昨日まで信じていたものが音を立てて消滅した。

 この一首を一面的に見ればきわめて簡単である、わが家に回って来た回覧板を次の家の近所のおじさん宅にひょいと持って行った。

 何げなしに、「暑いですねえ」と時の挨拶をした。「うん!暑い喃(のう)、そう言えばあのピカ(原子爆弾)が広島に落ちた日も、今日のように晴れた暑い日じゃった。」遠い空の果てを見るように、お隣りのご主人の被爆体験談がはじまるのである。

 昨年も一昨年も、もう何度聞いたことだろうか。語り部分の同じところ、少しずれた部分もある。実際に被爆時の地獄絵を見て来た人らしいリアルな一面をのぞかせながらのお話は、言葉のもつ力をはるかに超えた内容であろう、話の出発点を知ることから「何処でピカドンに遭われましたか」とお聞きした。

 ところが、ピカの直撃ではなく、宮島の海岸で何人かで組を作って海底電線の布設作業の任にあったそうで、大きな音と共に気が付いた時には巨大なキノコ雲が広島の空に立ち上がっておりその日は広島の情報を聞くのみで、実際に救援に出向いたのは翌日の八月七日の午後からだったそうである。

 その後の救援はどのようなものであったか。機材も物資も看護用品も揃っていない作業は想像もつかない。当時、あの広島の惨状のなかに身体をさらした人達は今言われている風評(子供が出来ない。癌になる)をおそれて、ひたすら隠していたそうである。

 この度の福島の原発事故の風評と似ており、原子力の怖さ、人の心の無常さを思い知るのである。

(文・池田友幸)

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