碁打ち探訪今昔四方山話【11】日本棋院囲碁殿堂資料館と徳川宗家一八代当主(2)

掲載号 10年11月27日号

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日本棋院囲碁殿堂記念館オープンセレモニーのあと、本因坊秀策の殿堂入りを記念して出展依頼があった「秀策母子愛用の碁盤」の展示位置が気がかりだったので地階の殿堂記念館をのぞきました。記念式典後に一般公開される予定でしたので誰もいないと思ってドアを開けると人影があるんです。背の高さ、気品のある姿から徳川さんだと分りました。

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もっとも、テレビの徹子の部屋やインターネットなどで予備知識はありましたが、世が世なら徳川宗家十八代当主恒孝(つねなり)公とお呼びすべきかもしれません。お声をかけるのも恐れ多いお方が徳川記念財団に比べると規模の小さい囲碁殿堂記念館に立っておられるのが不思議に思われました。それもお一人で・ぶしつけで失礼とは思ったが「オープンの式典では恒孝様をお探しになられていましたが…」と、問いかけてみました。お答えはいただけなかったが、殿堂入りのゆかりの遺品も出品されていない事などから察しがつかないこともありません。会話の中で「徳川財団の遺品は捨ててもいいような布切れなども自由になりません」と苦笑いされていました。

囲碁を「国技」に高めた天下人、徳川家康が第1回の殿堂入りを果したのは納得できますが、家康の庇護を受けた碁打ち宗家の日本棋院から感謝状を受けるのは本末転倒ではなかろうか―と思われないこともありません。本来ならば受章者でなくて来賓として「お招き」するのが筋であったと思われます。下じもには理解しがたいことかもしれませんが、伝統文化を誇る日本棋院側の対応に手抜かりがあったようにも思えます。

式典は11時半から2階大ホールに会場を移し、主催者挨拶、来賓祝辞のあと個人、国体表彰がありました。印象に残ったのは塩川正十郎関西棋院理事長写真上=で「弟分の関西棋院は50年。7大タイトルのうち1つぐらいは獲ってほしいが野球の2リーグのようにはいかないものです」とユーモアいっぱいのスピーチで会場を沸かせました。

(庚午一生)

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