戦後のツケ 国境問題と竹島

掲載号 10年11月13日号

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 「終戦の詔(みことのり~天皇の言葉)が一週間遅かったら北海道はロシアに占領されていただろう―」と思うとぞっとする。そして日本列島が米国の占領地になったことで戦後の復興があったのだとも。

 もっとも、吉田茂首相は「幕末から明治にかけてのお米騒動の体験」を挙げてマッカーサーに食糧の援助を申し入れている。以来、アメリカにおんぶにだっこで経済大国へと成長してきた。そんなツケがこのところ一挙に襲いかかってきたようだ。

 日本の敗戦で韓国は戦勝国になり立場が変った。一例をあげれば底引網の好漁場だった済州島付近から対馬海峡李承晩ラインを設定、日本漁船の立ち入り禁止漁業区域を主張した。日本漁船は海上保安部の巡視艇に守られながら操業。それでも漁船と乗組員がダ捕され、巡視艇が韓国警備艇に連行されるというくやしい事件も起きていた。

 李ラインは1965年に日韓漁業協定で廃止されたが、気がついて見れば島根県沖の竹島は韓国に実行支配されている始末だ。

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