せとだパリ祭の石井好子さんを偲ぶ

掲載号 10年07月24日号

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 「老後は瀬戸田で住むわ」と、高根島に別荘用地を求めるほど気に入っていたシャンソン歌手でエッセイストとしても活躍した石井好子さんが17日肝不全のため亡くなった。87歳だった。

 父石井光次郎は衆議院議長を務めた大物政治家。次女で東京芸大声楽専科卒業は昭和17年。戦後、ドイツ歌曲からジャズ歌手に転向、渡米。1952年に渡仏してパリでシャンソン歌手としてデビュー。1961年、日本に帰り石井音楽事務所を設立。岸洋子、芦野宏、加藤登紀子、田代美代子らのマネージメントを担当。その後、歌手活動を再開させ1991年には日本シャンソン協会を設立、会長に就任するなどで紫綬褒章、フランス芸術文化勲章受章。

 そんな彼女と瀬戸田町の縁は1989年瀬戸内リゾートシンポジュウムの前夜祭に招かれ「シャンソンの夕べ」を開いたのが「せとだパリ祭」のきっかけ。以来20回を越え「誇りに思っている」とメッセージを残し旅立った。尾道市教委は30日までベルカントホールに献花台を設け故人を偲ぶ。

 写真は2005年のせとだパリ祭のヒトコマ。(関連記事

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