鼻地蔵説明板の矛盾 海賊禁止令のあとに建立

掲載号 10年06月12日号

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 女性の願いをかなえてくれるという因島三庄町美可崎の鼻地蔵が昨年の台風で傾き、遊歩道もこわれていたので地蔵奉賛会と市がこのほど修繕工事をした。

 鼻の地蔵は市史跡で美可崎城の狼煙台下のなぎさにある自然石に地蔵尊が彫られ慶長4年(1599)建立とある。説明板には京へ上る琴の名手の美しい姫が海賊衆につかまり金山亦兵衛康時という武将のいいなりにならぬため殺害したとある。

 夜な夜な悲しい姫の琴の音にのろわれた康時は地蔵尊を彫って供養、死者の霊を弔うと女性の願いごとはなんでも聞いて下さる地蔵さんになったという。

 昭和の初めごろまでは現在のような遊歩道はなく、干潮時を見定めて水際の岩の上を飛び石づたいのお参りであった。そして渚辺には何か所か露天商が出るほど。

 美可崎城跡に立てば狼煙を合図に船陰から威勢よく漕ぎ出すカイの音が聞えそうだが、秀吉が海賊禁止令を出したのが天正16年7月8日(1588)だから地蔵建立時には海賊はいなかったことになる。

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