ことばの輝き最優秀賞作品「こゝろ」~漱石の世界~【2】

掲載号 10年02月27日号

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因島高校第三学年 濱崎日籍

 二つめの先生の死因は、先生の自己嫌悪だと思う。死因は自分が親友を裏切ったから、親友は死んだという勝手な自己嫌悪が自殺を招いたものだろう。また、裏切りについては、「私」以外に口外した様子はなく、こころにあった嫌悪感に耐えられなくなったものと考えられる。なぜ、この時を選んだのかは不明だが、自分の中にある罪悪感を消し去りたかったに違いない。

二 Kの死因

 この「Kの死因」というのはいまだに明確にされていない。まず、いままでにいろいろな論評であげられている例を説明したいと思う。
最初に、諸説を見ていく。

 「精神的に精進するを第一義に考えていたのに、心に隙が入ったことによる自己への絶望第二は、お嬢さんへの愛が全くひとりよがりであったことを、実証されたことによる自信喪失。第三は、先生との友情が裏切られたことによる人間不信などが考えられる。つまりKの死は、K自身の自己絶望が、大きなウエイトを占めていたことは言を待たない。むろんKには人間が信じがたく矛盾した存在であることの覚醒があったが、その人間不信の中にKは自身をも数えていたに違いない。」(熊坂敦子『夏目漱石の研究』桜楓社)

 「Kを先生の先行者だとすれば、その死因として次の三つを考えることが可能になってくる。

  1. 近代的な対等の人間関係を誰との間にも持っていないことから来る相互理解の欠如…他人を信じられない寂しさをKは感ぜずにいられなかったこと。
  2. 精進優位説観と修業第一主義を堅持し続けた人間が、お嬢さんへの恋着によって、「精神的に向上心のないものは、馬鹿だ」の言葉を自分に冠せざるを得なくなり、「僕は馬鹿だ」として精神の破産に直面したこと…行為を失った寂しさをKは感ぜずにいられなかったこと。
  3. 精進の破産に直面した人間が、行為回復の最後の拠り所として、オーソリティに(Kにあっては精進という観念)に殉ずる道を選ぼうとしたこと。」(畑有三『心』国文学)
 「Kの「先を越す」行為には、他者意識が欠けていた。他者承認の意図すら含まれぬ主観性があるのみである。これが果たして「論理的」だろうか。ただ、他者の絶対排除があるのみである。しかし、KはKなりに、他者排除的加害者たる自己に絶望していたのかも知れぬ。

 結局、Kは自分で他者を排除し、自分で自分を「寂しく」してしまっていたのである。」(村上嘉隆『夏目漱石論考』啓隆閣)

 以上のことをまとめると、次のようになる。

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