摘み取れぬままに春日に晒さるる一人住みなる庭の冬柑

掲載号 09年06月27日号

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安川二三子

 作者に何かの理由があって、摘み終わっていなければならぬ時期になっても、冬柑はぶらりと垂れ下がっているのでした。

 風に揺れ日に細る冬柑を見つめながら、作者の胸には複雑な思いが現れては消えるのでした。

 作者が幼い頃、この家には祖父母以下三世代の家族が質素で誠実な日々を過しておいででした。

 記憶に残る残像には誰彼の面影があって、作者を思い出の世界に誘うのでした。

 たとえば性別・年齢別・割り当てる仕事量など、人はそれぞれの知恵を活かしていたのです。

 女仕事では時期毎の漬物、洗い張りなどが印象に残っています。

 放し飼いの鶏は決まった場所に産卵し、卵を上手に隠して満足し、少年Aはその卵を集めて母親に報告するのでした。

 このように活気に溢れていた庭に、今日も人影はなく、作者が庭を横切れば、影は形に従って移動するけれども、孤影日々に新たなり。庭の一隅に揺れるのは摘み残された冬柑の影です。

 「オーイ」と声を出せば、声は草木の陰に消え、庭を横切る他家の猫が振り返り、何事もないと確かめて猫道巡視のため姿を消します。

 庭の植物は「計画・実行・点検」の能力を持つ人間・作者に視線を集め、移植後六十年の古松は作者に呼びかけるかも分かりません。

  1. 昔に比べ来訪者が少ないのはなぜか。
  2. 現代の政治は何故に掌を握って人を罰しようとするのか。
 この問いにはどう答えればよいのでしょうか。

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