巡礼の白き衣は新涼の尾花の野辺にひとすじつづく
掲載号 09年02月07日号
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小川 計江
結句の"ひとあしつづく"が効いた清々しい一首。場面を新涼(初秋)の野涼の野辺と設定されているのもさわやかで、映画のズームアップのように主題に急接近させてくれます。
主題「白き衣の一列」は色付き始めた尾花の波に見え隠れしながら移動します。
「白き衣の一列」はときに賑やかに、ときに寡黙に、包まれ地表をゆっくりと移動しており、一行を歓迎するのか一陣の風が吹き抜けて行きました。
この一首の初句が巡礼なので、白衣の一列が進むのは何処であろうかと考えました。日本かそれとも外国か。外国とすればエルサレムのあたりだろうかなど。
巡礼という言葉は筆者の心の中では遍路と言い換えて次ぎの解釈に進んでいるようです。
「そうは言うてもの、人はどう言うか知らんが浄瑠璃の例の女童よ『かかさんの名は○○と申します』のフレーズで紅涙を搾らせた浄瑠璃じゃア。女童は巡礼だったと。人はどういうか知らんが、儂はそう覚えとるんじゃがの」
筆者はこういう問答に関わっておれないので先を急ぎます。
神や仏などを信じとうとぶことを信仰といいます。話を変えると、現世は物事を計る(量・測・図…)ことから出発しているようです。突っ込んでいえば、計ることが出来ない事実は、有っても無い扱いを受けます。味覚で渋いという味は昔から有ったが味蕾(みらい)という味覚器官が発見されたので有ることにすると決ったのは二年程前でした。現代人は信仰の度合は計らず、信仰一筋の道を守りたいものです。
(文・平本雅信)