秀策百二十年忌祭の思い出 お世話になった山田太喜三氏(日本棋院広島県本部)

掲載号 07年09月29日号

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 因島外浦町の本因坊秀策顕彰碑前で執り行われた秀策百二十年忌祭は昭和57年8月(1982)だった。当時の広島県知事竹下虎之助知事(代理)平原清因島市長、柏原信一日本棋院因島支部長、藤井秀雄久保田鉄工常務ら政財界からの参列者を前に特設舞台で黒先番無敵といわれる秀策流1・3・5の奉納碁が行われた。

 特設舞台といっても夕涼みなどに使う板張りの長椅子を組み合わせたものだった。しかし、碁盤と碁石は秀策母子が愛用した記念すべき遺品である。当時、因北小学生だった新松浦産業(株)の松浦伸幸さんが黒先。受けて立ったのは日本棋院広島県本部の山田太喜三氏(当時五段)。模擬対局後は参列者が秀策の母子愛用の碁盤や石を撫ぜたり触ったりしてご満悦。

 その時の山田氏の訃報をさる7日に聞かされた。87歳だった。日本棋院は同院地方棋士では最高位の八段位を追贈した。廿日市市宮島町出身で、江田島市出身の瀬越憲作名誉九段に入門。藤沢秀行現名誉棋聖を破ったこともある。いずれも秀策と縁が深い人たち。

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