空音(そらね)を響かせて折る虎杖(いたどり)の酸っぱさを今日の鎮めともせむ

掲載号 07年06月23日号

前の記事:“せとうち歌壇新執筆者・平本雅信さんの紹介
次の記事: “空襲の子【41】因島空襲と青春群像 62年目の慰霊祭 九死に一生得た巻幡展男さん(下)

池田 友幸

 虎杖という名を知ったのは少年期で、幼い頃からハアタナと呼んでいた野草に虎杖という別名があると知り驚いた。その特徴は若い茎を折ればポンと鳴ることで、ハアタナ摘みを楽しくしてくれた。思い返せばハアタナ時代のポン音が、虎杖時代になると空音(そらね)に変ったとも思える。脱幼年期の通過儀礼だったのだろう。いま山菜として摘む虎杖から懐古を感じるのは無理からぬことで、作者は懐古の味を酸っぱいとされ、重ねて今日の鎮めとされている。何故だろうか。

 味覚は鹹・酸・甘・苦の四種からなり、この融合により旨みを感ずると解説されてきた。つい先頃、渋味が付加された。それまでは渋味はアルけれどナイのだった。理由は味覚をつかさどる味蕾(みらい)という感覚細胞に渋味味蕾の存在が確認できなかったから…と聞いている。このように味覚でさえ科学的に無視される時代に生きる私達だ。実生活でいわれなき無視や誤解に遭遇し困惑した経験をお持ちの読者も多いことと思う。

 この種の困惑は古くから人類社会をゆさぶっている。例えば、キリストの磔刑(たっけい)、ソクラテスの毒杯がそうで、極刑は免れたとしても、天才の多くは「それでも地球は回る」などと呟やかざるを得ぬ痛みを味わっている。これらを踏まえ、作者は虎杖の酸っぱさであれこれの存念を鎮めようとされているのだ。

 愛読者諸兄姉にお願い。短歌は歌人が万葉以来磨き続けている短詩型文学です。どうか音読され、言葉の美しさを観賞なさってください。そして現実の向う側に広がる、ひと味違う世界を垣間見てください。

(文・平本雅信)

関連書籍

E