接木せし「はるみ」の芽立ちぐんぐんと実のなる日まで夢はふくらむ

掲載号 07年03月17日号

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島田 義治

 近ごろは、蜜柑の品種もいろいろとあって、糖度の高いものが店頭に並ぶようになった。私どもが一寸目にするだけでも「きよみ」「はるみ」「はるか」「せとか」「はれひめ」という品種名があげられる。江戸時代にはハッサク柑アンセイ柑のように自然交配による異変種であった。今は人間が意図的に交配に交配を重ねて年月をかけた品種、さらにはバイオテクノロジーによる品種改良の成果と思われる。

 「この間、農協の人に聞いたんじゃが、はるみという人気のある新品種があるそうじゃ」「そうよね、こんどはそれを接いでみんね」仲むつまじい夫婦の果樹作りの会話のやりとりである。古風な言葉だが、「日進月歩」というのがある。人の世界はとどまるところもなく、急速に進歩発展するという意味だろう。瀬戸内のこの近辺には、岩城島に愛媛県立農業試験場がある。一度見学したいと思っている。

 先ほどの二人の会話に戻るが、どうやら「はるみ」柑の接木用の穂木を入手したようである。

 「接木には、まず小刀の切れ味がようないと」と一人ごとを言いながらシャリシャリと研いでいる。研ぎ上がった刃先を二、三度返している。「あなた思いきってやったら」「ここは、こうして、よしよし一丁あがり!」と手順どおりの台木への切り込み、芽の差しこみ、テープ巻きで完了。三月に接いで、それから四ケ月目の七月である。自慢ではないが九割の活着率である。一本二本の失敗は覚悟していたが、ほどよい土の湿りと初夏の日照によって早くも一米かそれ以上に、畑を見廻るたびに枝葉を広げている。接木の活着後も、病害虫の保護、施肥、灌水、支柱、台風対策、防寒対策、一年中が蜜柑作りである。三年、四年生になると味見に一つ二つ実らせてみようか、などと、枝垂れて実る「はるみ」柑の木姿に夢を馳せている。

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