「始まりと終りに」故仲宗根一家に捧ぐ【26】第五章 運命の電話

空襲直後、長姉は母親代わりだった。

彼女は10歳、国民学校(小学校)4年生である。母と祖母は空襲で負傷した。生後10カ月の私はいつも長姉の背中にいた。

そのことを思い出して電話を入れたのだが、本当のところはそうしたくなかった。兄や姉たちを空襲調査にまきこみたくなかったのである。辛い体験だから協力してもらえないと思ったのである。

しかし、なりふり構ってはおれない。調査を始めて以来13年にして初めて、空襲体験を姉に問いかけることになった。

「姉さんと同級生の仲宗根さんは、学校に通っていたの」

「そう思う。おかっぱ姿の沖縄の女の子らしい風貌が今でも目に浮かんでくるわ」

私は名前を覚えていないかと尋ねた。フルネームが判明すれば実像に一歩近づくことができるからだ。

「そうね、当時は○○ちゃんと下の名前で呼んでいたと思うけど、思い出せないね。隣近所なんだけど遊んだ記憶がないのよね」

姉は興味ある事実を告げた。

「仲宗根さんが一番上の姉さんで弟や妹がいて、子供たちは5人だった。わが家と子供の人数が同じなのでよく覚えているんよ」

やはり母と子供たち6人が亡くなったのだ。

空襲警報が解除になり、防空壕から出て全壊した自宅に帰る途中に姉は目撃した。

「たまたま外出していて助かったお祖母さんが泣き崩れていたんよ」

電話による姉との会話であったものの、わが家族と、悲劇に見舞われた仲宗根家が強い関係で結ばれていることに気付いた。

住居は目と鼻の先の隣近所である。さらに注目したのは私の父が当時、地元の国民学校の教諭であったことである。世話好きの父は、学童疎開してきた仲宗根家の子供たちに学校への通学を強く勧めたに違いない。

母も優しく他人の世話を焼いていたという。その母が、遠く沖縄から自宅の直ぐ隣に疎開してきた家族にどのように接したのだろう。近所付き合いは始まっていたのだろうか。様々な想いが脳裡を駆け巡るのである。

そして、いっさいをふきとばした一発の爆弾である。

空襲の犠牲になった仲宗根さん一家の実像が急速に私に迫ってきた。そして、その現場で追悼の行事をやろうと思い立ち、呼びかけ文を出した。ここまで事実が分った以上何もしないわけにはいかない。

―昭和20年7月28日午前10時20分ころの三庄空襲において、住民など多数の犠牲者がでました。最近、調査が進み、以前から語り継がれていたように、沖縄から学童疎開をしてきた仲宗根さん一家の母親と子供六人が犠牲になったことが明らかになりました。

終戦70周年を控え、空襲のあった日に、惨事の現場で第1回追悼行事を行います。

慰霊行事の準備と平行して仲宗根さん一家の聞き取り作業が進められた。もともとその惨事のことを教えてくれた夫妻を訪ねた。

ご主人は当時、地元の国民学校高等科2年の13歳。自宅と近接する造船所に学徒動員された経験を持つ。奥様は当時10歳。私の姉と同級生で仲良しだったという。

ふたりとも記憶する全てを語ってくれ、仲宗根さん一家の実像がいっそう鮮明になった。

(青木忠)

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