「始まりと終りに」故仲宗根一家に捧ぐ【20】第四章 宿命なのか

広島大学千田町キャンパス正門で私に何が起きたのか。その真前にある広島赤十字・原爆病院。そこでは今なお被爆者が闘病生活を送り、力尽きて亡くなる患者がいるというのである。

瀬戸内の島からやってきた18歳の私はそうした事実を受け止めることができなかった。学生運動をしてはいけないと説教した広島大出身の担任教師は、原爆病院のことを一切語らなかった。無防備な私の学生生活はすっかり混乱させられたのである。

学生生活のすべてが空しくなってしまった。あらゆる講義がつまらなくなり、ほとんど出席しなくなった。友人に野球部入部を誘われたがその気になれはしない。

現在の地平からふり返ってみるに、広島大学正門において、原爆投下という事実と私の生後十カ月の空襲体験が初めて交錯したのではないかと思えるのである。

もっとも大学1年の私は自らの空襲体験をほとんど自覚的にとらえ直してはいない。しかし、広島の原爆という圧倒的な事実が、幼き空襲体験を呼び覚まし、私の全身を揺さぶり、内面を貫き、えぐったのではないか。もはや以前の私には戻れない。私は根底から変わったのである。

大学2年になるや私は「大学生らしい生活」を送ることを決心した。私の「大学生らしい」とは、自分で考え、信じる道を真っ直ぐに歩んで行くということである。自治会のクラス委員を友人から引き受けた。そしてクラス内に大学生らしい空間を作り出そうと動き始めた。

私は大学を「自由の王国」と夢想していた。それ故に殺人的な受験戦争さえ耐えることができた。事実、その過程で私の精神は病んだ。抑えがたい青春のほとばしりを禁圧したままの日々であった。もし、1週間でも受験生活が延長されたならば私はもたなかっただろう。

ここまでの犠牲を払ったというのに大学というところは私には高校の繰り返しにか見えなかった。与えられたカリキュラムのもとで単位習得に汲々とする学生たち。単なる職業訓練学校にすぎないではないか。

いったん立ち止まり、自分の人生を考え、いかに生きるべきか共に語り合ってみたかった。確かに私は教師を志望して大学に入学した。しかし、私は職業としての教師である前に、ひとりの人間でありたかった。人間としての切磋琢磨を通じて成長し、教職の道へと進みたかった。

やがて私は学生運動に決起する。だが既成の学生運動は嫌だ。それに自らを合わせるのではなくて、ゼロから希望にあふれた運動を自分の力で創造したかった。

夏休みに学生運動への決意を固めた私は、大学構内でデビューする前に、大阪市の中ノ島公会堂で開かれた「全国反戦集会」に誘われて参加し、その後、人生初めてのデモをした。そのデモの終了後に不思議な体験をすることになるのである。

デモの解散地点も中ノ島公園で、そこは何組もの恋人たちで賑わい、その近くをデモ隊は通過していった。恋人たちには、それは見慣れた風景らしく、彼らはデモ隊に関心を示さない。

日常と非日常の衝突――学生運動に決起することの厳しさに気付かされた。「何のために誰のために私はデモをしているのだろうか」という不安を感じたことを忘れることができない。

夏休暇明けとともに大学キャンパスで私は弾けた。折しもその秋に米国原子力潜水艦が横須賀ないしは佐世保に寄港するという。それを食い止めるために私の青春は躍動したのである。

(青木忠)

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