ふるさとの史跡をたずねて【185】石鎚神社(因島重井町龍王山)

石鎚神社(因島重井町龍王山)

因島重井町の龍王山は因島高校の北に聳える340メートルの山である。雨乞いをしていた山は八大龍王を祀るので龍王山と呼ばれ、至るところにある。今は印刷物に従い龍王山と呼ぶ人が多いが、ふだんは権現山と呼ぶ。権現には蔵王権現や熊野権現などいろいろあるが、頂上に写真のような石鎚神社の石碑があるから、石鎚大権現を祀っているのであろう。他の権現を祀っているようには思われない。

だから、前回の重岩の石鎚大権現と同様のものだと思ってよいだろう。ここで修験道の話が突然神社の話になって戸惑われる方もおられるだろう。これを説明するには、例の中庄村出身の鴻雪爪翁の話に戻らなければならない。明治維新で宗教政策は大きく変わり、神道、仏教、それに新しく公認されたキリスト教に限ると雪爪翁は提案した。したがって、修験道はもちろん江戸末期に起こった天理教や金光教なども、そのいずれかでないといけないことになった。それで修験道の多くは寺院に属し、一部は神社に属した。それは修験道がもともと神道に通じる山岳宗教に仏教や道教などを取り入れたものであったからだ。石鎚山には古くから成就社があったから石鎚神社として継承した。また明治の宗教改革はでは神社と寺院が同居する神仏習合も禁じられたので、横峰寺と前神寺が分離した。四国遍路のガイドブックの多くに、この二寺は石鎚山の元別当寺であったと書いてあるのはそういうことだ。また両寺がその開基をともに役行者小角とするのも同じ理由である。

だから石鎚神社というのは修験道系の神道と考えてもよいかもしれない。あるいは信者の中には神道系の修験道だと思っている人がいるかもしれない。そんなところに人気の秘密があるのか、石鎚神社や石鎚山遥拝所が多数存在するし、山開きを中心に行われる大祭には多くの人が集まるという。ここで山開きというと、海開きと同じようにそのシーズンの解禁日の印象を受ける。そのような意味で使われる山もあるかもしれないが、修験道では一日だけの特別な行事を山開きと言っているようだ。

さて、因島重井町の権現山に戻ると、そこには石鎚山遥拝所の建設寄附碑がある。それで遥拝所はどこだろうかと考えると、明らかに写真の位置であろう。そうしたら石鎚神社はどこにあるのだと迷ってしまう。山頂の或る範囲が石鎚神社であり、同時に石鎚山遥拝所であろうと解釈しておこう。

(写真・文 柏原林造)

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