空襲の子Ⅱ【14】十年間の調査報告 三庄町の真実(6)

 檀上昌也少年の三庄空襲の記憶は、私をドキリとさせる結末で終わっている。


―中には(機銃掃射の)不発弾を拾った子供もいたようで、それを不用意にいじっているうちに爆発して、目や指を失った子供の話などを聞いたが、これも空襲の落とし物だったのである。
 空襲の数日後、父や寺岡の小父さん達が伝馬船で釣りに出たら、海の底に大きな魚が沈んでいるのを見付けて、竹竿では届かなかったので櫓に竿を継ぎ足し、二人がかりで取れたとか、取れなかったとか、と云うようなことを聞いたことがあった。
 国民学校五年生の壇上少年の目が捉えた三庄空襲の情景は、実にリアルであった。山影に見え隠れして頭上を襲ってくるグラマン戦闘機を目撃したという話は何回か聞いたことがあったが、眼下にそれを見下ろしたという目撃談は初めてだった。
 私の手元に、三庄空襲の機銃掃射の薬莢(やっきょう)と爆弾の破片と見られる金属片がある。当時、三庄小学校の教諭をなさっていた方から、渡されたものである。薬莢は小学生が落ちていたといって学校に持参したもので、金属片は私の実家の山から発見されたものだという。
 魚の死骸の話を聞くと思うのだ。陸上からは空襲の残骸はほとんど除去されただろうが、海中は当時のままなのではないだろうか。爆弾の破片や機銃掃射の薬莢などがひっそりと時間を忘れて眠っているのであろう。
 三庄空襲について改めて記すために檀上さんに文章の引用の許可をお願いし、快諾していただいた。私がどのようにあがこうが、実際に目撃した方の表現力には到底かなわないと思ったからである。
 ところでもうひとつ、脳裏にこびりついて離れない話がある。壇上昌也さんの同級生が語ったものである。「空襲当日、『豊後水道を友軍機数十機が北上中…』というラジオ放送直後に爆撃があった」という。その方は、その放送が「敵機」を「友軍機」と間違えて放送したのではないか、とずっと思いつづけていたという。
 その放送は、昭和16年2月18日に尾道市土堂町字後天狗に設置された尾道放送局から発信された。山頂にそびえたつ電波塔はすべてを見ていただろうが、NHKによって、そうしたニュースの真偽は検証されることはなかった。事実、「NHK広島放送局60年史」は、因島空襲について一切ふれていない。
 私が因島空襲についての小冊子を自主出版した直後、檀上さんから「『瀬戸内の太平洋戦争 因島空襲』に寄せて」という文章をいただいた。
―これ程のことがらが「歴史の表面に呼び戻され」明らかなものとして記されたことは、ただ因島史だけではなく、少なくとも昭和史の暗部に光が当てられたことは確かなもので、その労作に敬意を表したく、また因島を故郷とするものとしても大変喜ばしく思うものです。
 嬉しかった。空襲を体験したというものの、まったく記憶のない者の調べた事実とその想いが、空襲の記憶を鮮明に有している世代に伝わったのだ、という喜びだった。
 記憶の代りに私は、取材という方法を徹底して駆使した。因島で空襲を体験した人たちの話に懸命に耳を傾けた。可能なかぎり全国を飛び回り、裏付けの資料を集めた。東京の国会図書館や防衛省など、横須賀、福岡市、倉敷市では貴重な情報を得ることができた。
 そして年中、24時間、考えて考え抜いた。そのなかで輪郭が浮かびあがり、公表しても決して揺るがない確信へと到達した。
(青木忠)

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