碁打ち探訪今昔四方山話【37】秀策改名のエピソード(1)本因坊家跡目の下心

栄斎改め秀策

大阪で大金星をあげた安田栄斎(寛斎)は江戸車坂の本因坊家の道場に入ったのが8月末のこと。栄斎にとっても転機となる二つの出来事が待っていました。

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その一つは江戸に着いた翌月の9月11日。師の本因坊丈策から「秀策」という名に改名するよう申しつけがあった。

もう一つは段位の免許状と同じ形式で「其許幼年なりと雖(いえども)所作善用 依って今般改名候間自今弥(いよいよ)相励み出精上達の心掛専一と為す可き状以上 天保十二年九月十一日 本因坊丈策花押 栄斎改め安田秀策老」と書いた免状を貰ったことである。

丈策が何故、彼に秀策という名を選んだのか推察すれば当時第十三世本因坊丈策の跡目になっている秀和の「秀」をとって後継者に考え、丈策の「策」と栄斎の天賦の棋力に「本因坊家に百五十年来の風が吹く」と称して喜んだという第四世道策の再来にあやかったものと考えられます。だが、安田栄斎は芸州三原藩から五人扶持をさずかっている身だから「ゆくゆくは」と思いながらも安田姓まで変えるわけにはいかなかった。

安田家は父輪三の生家で三原市西野町にあり。代々庄屋を勤め、西福寺=写真=という安田家だけの氏寺を持つほどの名家。栄斎は藩主お抱えの棋士のタマゴだから因島の桒原家よりも父の実家の安田家の方が都合がよかったのだろう。ともあれ、栄斎は13歳にして天保12年9月21日から安田秀策と名乗ることになり16日付けで二段を免許されている。

それも「二段格」という免状である。この二段格という免許は本因坊丈策が「碁所」でないため碁所不在の場合正式な免許状発行は四家の会議にかけることが原則となっていました。他門家にはからず出したので「格」をつけたのでしょう。こうして秀策の力量は計りしれないものがあり、因島出身でありながら安芸広島藩の「安芸小僧」の名が江戸の呼び名になっていました。

(庚午一生)

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