村上水軍の「軍楽」の研究【17】第二章「軍楽」史の考察

もう一つ「をし太鼓」というものが出てくる。後述する村上水軍の兵法書『三島流水学軍用集並同抄』の中にも「押シ太鼓」が出てくる。「押シ太鼓」は通常船を進める際に打つ打ち方である。この記述では「をし太鼓」の具体的な意味は解らないが、同じような意味を持つのではないかと思う。

この頃になると、音具の役割は明確になっており、全軍への合図の為であることが明らかである。また、貝や太鼓の音を聞いたら「先を見捨て引返す」とされていることから、大将の命令を伝える重要なものであり、また絶対であったと考えられる。

吏徴』(太田 一九七八年、三二)

「御貝役三人 御目附支配 百俵持扶持高 見習七十俵持扶持 部屋住見習五人扶持 焼火間上下役 寛永十八年辛巳六月廿五日始置」『吏徴』「吏徴下巻」

「御太鼓役三人 御目附支配 百俵持扶持高 見習七十俵持扶持 部屋住見習五人扶持 焼火間上下役 寛永十八年辛巳六月廿五日始置」『吏徴』「吏徴下巻」

以上の記述から、寛永十八年(一六四一年)に徳川幕府により貝役、太鼓役が置かれたことが解る。これについて宮崎まゆみは「陣太鼓考――伝蒲生氏郷所用陣太鼓をめぐって」の中で、「世襲制で、しかも昇進の期待できない百俵扶であった」としており、また「実質的な仕事はなかったのではないか」と述べている。(宮崎 二〇〇二年、一六六)

これは、江戸時代に入り戦が大きく減ったことにより、戦における音具としての役割がなくなったためではないかと考えられる。

神戸大学国際文化学研究科 山本詩乃

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