村上水軍の「軍楽」の研究【16】第二章「軍楽」史の考察

第三節 江戸時代以降の記述

本節では江戸時代の史料について考察する。本節で扱う史料は『北条五代記(一六四一年、北条氏の五代の逸話を集めたもの。十巻から成る)』、『吏徴(一八四五年、江戸時代の幕府の職別を記した書物)』、『古事類苑(明治政府により編纂。一種の百科事典)』である。


『北条五代記』「五 北条家の軍に貝太鼓を用る事」(近藤 一九九〇年一八〇~一八二)

「貝太鼓を専と用る事遠近共に諸卒等心指を一同しいさみを本意とするか故也合戦を乱す時節にものけ貝をふき同き太鼓の声を聞ては士卒等善悪を捨て退き懸る声を聞てハ無二にすヽむていれハ軍ハすヽむ計かよきにもあらす退くとてもあしきに非ず」『北条五代記』巻之八(一五~一六世紀)

「旗本の大手に矢倉をあけ貝太鼓をつるしをき明日打立にハ夜る八ツ太鼓を撞てはた本に一番貝を吹是を聞て惣陣貝吹おきて支度す七ツ太鼓に二番貝を吹惣陣貝吹食す六ツ太鼓に三番貝吹惣陣貝吹打立すへて軍中にをいて士卒等遠近共にあまねく下知にしたかふ事貝太鼓の声にしくハなし」『北条五代記』巻之八(一五~一六世紀)

「貝吹今も其子孫貝よく吹といふ然に大将たる人ハ団扇を肘にかけ貝にをヽ付よろひの妻手の脇に我と付給へり合戦興する時に至てハをし太鼓をうち貝をならし軍兵かヽるもとヽまるも引も声次第に有て軍を乱さす敵味方封陣をはるとき先手の役として夜明ぬれハさかひめへ出向て陣す其間へ足軽とも五人十人たかひにはしり出矢軍をなす是ハ下知を請てするにもあらす故に大将もなし或ハ前登を心かくる者或ハ若手の待陣中を一人二人ぬきんて集て合戦す此時も味かたの旗本の貝太鼓の声を聞て懸引兵略をつくす」(一五~一六世紀)

「味方ハむかふかたきに目をかけ是をしらすみかたのはたもと遥にへたつといへとも是を見てのけ貝を吹太鼓を(月)けれハ入乱れたるいくさなれ共引声を聞て先を見捨て引返す」(一五~一六世紀)

以上の記述から解ることとして、貝や太鼓を使用する目的は軍を統一し、士気を上げるためということがまず挙げられる。また、軍を統一するにあたって、貝や太鼓はやはり合図を送るという目的が大きいように思われる。この史料の中に出てくる「のけ貝」とは恐らく軍を退く際に吹く貝のことで「退け貝」と読めるのではないだろうか。

神戸大学国際文化学研究科 山本詩乃

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