続・井伏鱒二と因島【9】その作品に表現された「因島」

前田貞昭氏は前掲出のなかで、人口推移を挙げながら

「井伏が滞在した大正10年(1921)秋から大正11年(1922)年春においては、戦後不況の波を被って、因島工場・備後工場を併せた大阪鉄工所の職工数は最盛期の4割弱程度に落ち込んだと見られ、更に軍縮の影響も懸念されていた。とはいえ、職工数は大正9年(1920)当時の水準は当時の水準を維持する小康状態ともいうべき状況であって、三庄町の現住人口・入寄留人口の推移を辿ってみても、好景気の余波が完全に去ったわけではない。懸念を抱きながらではあったが、小用・神田・家老渡といった三庄町南部の歓楽地はそれなりに賑わっていたと見られる」

と述べている。前田氏は、更に

「三庄町(村)の人口は、大正3年(1914)・大正4年(1915)の頃から急激に伸びたものであって、その歓楽地域も僅かな歴史しか持っていないことも強調しておきたい。狭隘な空間に形成された俄仕立ての歓楽地域であればこそ、地域図で確認してきたようにそこから一歩外れれば、田園風景が広がったのであった」

とも述べている。最後に、前田氏は

「井伏の回想記・随筆類においても、井伏が因島に滞在した大正10年(1921)から大正11年(1922)という特定の歴史的時間の中を因島に生きる人々の生活やその意識を捉えようとする視点は認められないのである。そこに登場する因島の人々は、井伏の眼前に広がる風景を形成する一点景・一要素として捉えられていたと言ってよい。これについても、結論だけを言えば井伏の側から一方的に眺められる。そして、歴史性を持たない"風景"として、因島は存立したと言えばよいであろうか」

と結論づけている。

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1930年頃の三庄小学校周辺(岡本馨氏蔵)

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井伏鱒二全集(筑摩書房、全28巻)編集者のひとりである兵庫教育大学大学院(兵庫県加東市)前田貞昭教授。

(石田博彦)

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