因島にて… つかみかけた確信【13】

初心にもどりて
 昨年暮れのことであるが、ひとりではっさくの収穫中に事故を起こした。いまだ原因は不明なのだが、足場にしていた二メートルの高さの脚立(きゃたつ)もろとも倒れ、地面にたたきつけられた。畑が斜面になっており、全身に激痛が走った。最低でも骨折は避けられないところだが、悪運が強いと言うべきか、奇跡的にも軽症ですんだ。


 しかし精神的なダメージは大きかった。想定もしていない事故であった。十数年も前に急死した、幼なじみのことが脳裏をよぎった。葬儀で聞いたのだが、彼は死の直前、農作業中にはっさくの木から、何回か落下したという。私の死期の訪れを直感した。
 思わず遠方の知人にメールをし、事故の有様を伝えた。無理をしないようにという返信が届いた。変哲のない言葉だが、私を立ち直らすキーワードになった。「なんでお前はそんなに焦るんだ」と自問自答してみた。いつの間にか、「いやな農作業を早くすませて次の仕事をやろう」というように発想が変質していたのではないか。
 農業は自然のルールに支配される。専業農家であれ、私のような素人であれ、共通の厳しさが要求されるはずだ。特に手抜きはご法度だ。今回の事故は焦りが誘因になったのではないか。その年は、忙しさを理由にせん定作業をやらずじまいであった。その結果、枝も繁り、木も高くなってしまっていた。そのことを自覚しないままに安易な収穫作業をつづけていたのだ。
 災い転じて福となすではないが、初体験の事故によって農を生活の根幹に据えなおすことができた。農あっての我が生活、農あっての我が人生。事実、農作業がうまくいっているときは、心身とも精気がみなぎり、ほかの仕事もうまくいくようだ。距離的には家屋と遠くはないのだが、畑に行くとそこは別天地で森林浴のような気分になる。そこは思索にも絶好の場で、様々なアイデアが浮かんでくる。こうであって島の男の生活であると言えよう。
 ふと父の老後の生活とくらべてみる。彼は、山奥の畑に電気を引いたと自慢していた。祖父の代からある畑の小屋に一揃いの家財道具を持ち込み、夜間作業や生活もできるようにしていた。私の家族との同居に耐え切れなくなくなった父は、亡き妻の位牌までも持っていき、まるでろう城生活に入った。これで、私が父と再び別居することになるのだが、底抜けに農を愛した男であった。
 父が七〇歳代のころのことだったと思うが、一緒に畑の井戸掃除をしたことがあった。その強じんな体力にあきれてしまった。荒くれだったその手のひらのたくましさも、これが本当の親子かと、目を疑うばかりであった。直に聞いたことがあるが、この手で、戦中・戦後の食糧難のなかで家族六人を食わせてきたのだろう。
 また父は、畑仕事を手伝わせながら息子への教育を試みたようだ。父は畑に通じる細道を歩きながら私をよく諭したものだ。「鶏口となるも牛後となる勿れ」と、何回も聞いた覚えがある。「独立心の大切さを説いたもの。小さな団体の長になる方が大組織の末端にいるよりも良いとの意」(永岡書店「ことわざ辞典」)とある。
 私に何を語りかけようとしたのか説明しなかったが、その諺を繰り返した。昭和の激動を島で生き抜いてきた男のプライドを息子に託そうとしたのだろうか。また、自ら歩んだ教育の道を歩ませるための檄(げき)にしようとしたのだろうか。
 こうして私には、畑にまつわる話は語り尽くせないほどある。それほど農とのかかわりのなかで自己形成をなしとげてきたということだろう。農は、私の心身の状態を計るリトマス紙である。つまり気持ちが畑に向いているときは健全であり、そうでないときは、畑に行ってリフレッシュしろということだ。畑仕事をしない奴に何ができるか、そのような家系に私は育ったのだ。
(青木忠)

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