続・井伏鱒二と因島【28】その作品に表現された「因島」

最後に

井伏の「因島」に関する作品では、とりわけ昭和30年代に大きな転機があった。それは昭和33年に発表された「因島半歳記」と昭和35年に発表された「鞆ノ津付近」である。その作品で当時繁栄する造船や賑わっていた因島の歓楽街を描いた。昭和39年に刊行された「井伏鱒二全集」(筑摩書房)では小説「因ノ島」に大幅な加筆を行った。「因島空襲」に関する記述も「鞆ノ津付近」の発表と小説「因ノ島」への加筆がなければおそらく埋もれてしまったにちがいない。昭和30年代といえば因島は高度経済成長期の影響で造船は活況を呈し、井伏は50歳代後半から60歳代半ばで大作家としての地位をすでに確立していた。


ところで、生徒たちと平成22年度の課題研究で「井伏鱒二と『因島』」と題して発表したが、悔やまれることがある。生徒たちに「男色」とか「芸者」、また「艶福」という非常に「教育上ヨロシクない言葉」を使わせてしまったのである。言い訳をさせてもらえば「男色」の言葉を使ったのは相馬正一氏で、「芸者」「艶福」の言葉を使ったのは井伏本人である。今回もし引き続いて課題研究を行ったとしても生徒たちに「遊廓」とか「女郎」というこれまた非常に「教育上ヨロシクない言葉」を使わせてしまうことになる。今度もまた本県の名誉県民の井伏本人の表現である。これらの言葉を使用しないとどうしても井伏と因島の関係は語れない。また、前回の発表で感じたことは、井伏鱒二と「因島」と題して論じてみても、島外の方にはなかなか興味関心を抱いていただけないのである。それもそのはずである。島内の方ですら知らないことを「ああだ。こうだ。」と論じても所詮無理である。今度も島内の方ですらほとんど知られてない小説「因ノ島」が何種類もあると言っても、当然島外の方には無理な話である。しかし、一人の方でも井伏の作品を通して90年前、80年前、或いは終戦直後の因島に思いを馳せていただければ幸いである。

(石田博彦)

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