因島にて… つかみかけた確信【18】

地元紙と私(2)
 インターネット時代を反映してか、せとうちタイムズのホームページを見た読者からのメールが届くようになった。最近も東京都練馬区の方から、「突然ですが、御紙を知りました。島の歴史物語・瀬戸の伝道師ビッケル船長は本になっているでしょうか。福音丸関係の出版物で現在入手できるものがありますか」と、問い合わせをいただいた。


 この文章は、私が「せとうちタイムズ」に2002年からほぼ一年間にわたって連載したものである。その冒頭、次のように記している。

 ―私は三庄町で生まれ、高校を卒業すると因島を離れ、地元の事をほとんど知らないまま人生の半分を過ごしてきたという事情から、最近耳にする瀬戸内に関する話すべてが、新鮮かつ刺激的で、私を虜にしている。
 数年前のことだが、瀬戸内を舞台にした映画製作を夢見る私に、ある因島の古老が語ってくれたのが、ビッケル船長の物語であった。とりわけ興味を引かれたのが、初代福音丸ビッケル宣教師と弓削商船学校の生徒達との交流と友情のエピソードである。

 引用した内容を読んでみると、地元紙発行に参加したころの雰囲気が思い出されて懐かしい。島の近代史についての知識がほとんどなかった私を覚醒させたのは、キリスト教伝道師・ビッケル船長の足跡であった。瀬戸内の近代の夜明けは、彼の伝道活動と軌を一にしていると思えた。
 ビッケル宣教師は1906年(明治39)、生口島瀬戸田に博愛遊戯園(現・博愛幼稚園)を、三年後に同所に教会を設立して、そこを拠点に船による伝道を広げていった。その範囲は、香川県小豆島、尾道市向島、因島、生口島、愛媛県大三島、山口県周防大島におよんでいる。
 この連載をきっかけに一つの問題意識が芽生えてきた。私が生まれ住み直した島嶼部も例外なく、時代とともに歩んできたのだ、という事実に気付いたのである。やがて、日清・日露戦争と二度にわたる大戦とともに発展をとげた島の近代史はどうであったか、という点にたどりつくのである。
 しかし、地元史のなかからその分野は欠落していた。とりわけ激動の昭和史はすっぽり抜け落ちていた。「因島市史」(昭和43年)の「あとがき」で、編者・青木茂氏は次のように弁明している。

 ―自然、原始・古代・中世・近世編にウエイトをおき過ぎた結果となった。近世・近代・現代に、もの足りなさのあることを、自分でも感じる。惜しいけれども、近代資料が少ない。敗戦のさい、どこの自治体でも、多くの書類を整理した。マッカーサーの進駐に気をつかったからである。さらに引きつづいて、合併である。

 また同氏は、同じく著した「新修 尾道市史」においても同趣旨の弁明を行なっている。青木茂氏は私の義理の伯父で、私が継いて住んでいる住居が生家である。胸中は複雑である。前掲の「あとがき」には次の文章がつづく。

 ―それに今一つ、紙面が足りなかった。けっこう、もう一冊はかける、書かなければならぬ資料を、涙を呑んで捨てた。読者諸君のなかには、当然書かるべきことを、簡単に片づけたもののあることを、察せられるであろう。頁数に限られるので、文字どおり、涙をのんで、没にしたものが、半数はある。しかたがない。またあとで、誰かに書き足してもらはねばならぬことを信じて、筆をおいた。

 「因島市史」の続編が発行されることはなかった。そして今や因島市はなくなった。青木茂氏の願いはかなわなかったと言えよう。これも縁というものか、地元紙にかかわることで私は、「切り捨てられた地域史」に強い関心持つことになったのである。

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